2019年6月23日 (日)

『誰もがそれを知っている』

〈シネマ手帳〉No50

 

土地に根ざした田舎の人間関係は、濃密です。ゆえに、隠しごとがきかない。「公然の秘密」が、そこかしこにあったりします。
『誰もがそれを知っている』のです。しかし、だれもがそれを口にはしません。当人の前では、絶対に。居心地のいいコミュニティーは、そういう暗黙に守られています。

スペインのある農村に、妹の結婚式に出席するためラウラ(ペネロペ・クルス)が二人の子を連れて帰郷します。アルゼンチンに暮らすラウラの夫(リカルド・ダリン)は、地元の教会に多額の寄付をした実業家として有名ですが、今回は仕事のために同伴できない。
彼女を迎える幼なじみの男性・パコ(ハビエル・バルデム)はじめ、旧知の人々とのあいさつは、親密で温かい。土地柄といっていいでしょう。
親族、近隣の住民が集まった結婚式は、盛大にとりおこなわれます。その披露の宴のさなか、大雨に打たれるラウラの実家の一室から、思春期の長女が連れ去られます。結婚式を狙い、村に通じる電線を切断した計画的な犯行でした。凱旋のようなラウラの帰郷は、いきなり暗転します。

ラウラの実家と家族同然であるパコにとっても、事件は人ごとではない。ところが、奇妙なことが起こるのです。なぜか身代金を要求する犯人グループのメッセージが、ラウラと、そしてパコの妻のスマホにまで送られてきたのです。
警告を無視して、警察に通報することはためらわれます。では、犯人の目的はなにか。はたまた狂言か。だれが巨額の金を用立てるのか。家族の心労、疑心暗鬼が積もりだすと、痛い記憶や恨みを押しこんだ小箱のフタがかんたに開いてしまう、のです。
大地主であったラウラの父が昔、博打で多くの資産をなくしたこと。ワイナリーを成功させたパコの農地は、ラウラを介してその父から安価で手に入れたこと。パコが使用人の子どもであったこと。駆けつけたラウラの夫が、とうに事業に失敗していたことーー。
じつはほかにも、秘めごとがあって、これもまた「だれもが知っている」事実だったのです。それによってパコは、事件から引くに引けない崖っぷちに、追い詰められることになる。

監督のアスガー・ハルファディは、1972年生まれ、イラン出身。『彼女が消えた浜辺』でベルリン映画祭の銀熊賞、『セールスマン』でカンヌ国際映画祭の脚本賞、男優賞を受賞した、世界が注目するフィルムメーカーです。トランプの政策を批判して、主演女優とともにアカデミー賞授賞式をボイコットしたニュースは、記憶に新しい。
初のスペインロケとなった本作では、主な役に、スペイン出身のペネロペ・クルス、ハビエル・バルデム(実生活ではペネロペの夫)、アルゼンチン出身のリカルド・ダリンといった、名優たちを惜しげもなく起用しています。錚々たる顔ぶれ。
なにかをきっかけに、ほどけたり、崩壊する人間の心もようを淀みなく、巧みに表現するのが、アスガー作品の見せどころ。
壊れた心や現実がどこに行き着くのかを、追っかけているわたし自身はといえば、気づけば、いつもその展開に追い越されているのです。明かりがついた館内で、描かれなかった「それから」に思いをはせなかったことは、ありません。

Story_head

 

(監督・脚本:アスガー・ハルファディ/出演:ペネロペ・クルス、ハビエル・バルデム、リカルド・ダリン他)/2018年 スペイン・フランス・イタリア/スペイン語/133分 Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町他)

 

 

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2019年6月13日 (木)

彼の十字架は彼のものか

以前、住んでいた街の居酒屋に知人とおりました。先週末のこと。
元農水省事務次官だった老父が、引きこもりの息子を刺殺したという話題で、客が盛りあがっておりました。そのはずで、現場はすぐ近所です。客は、このあたりの常連ばかり。
小学生の子を持つらしいある親が、大きな声で言いました。
「こんなこと言っちゃ悪いが、かえってよかったんじゃないか! 他人を殺すぐらいだったら、家族の手で死んでもらったほうが」
もし父親が刃物を手に行動しなかったら、息子は家の外で無差別殺人事件をひき起こす。なんと、それが当然のことになっているらしい。
そんなこと、だれにもわかりはしないのに。
連れの客が、これまた大きな声で応じました。
「あの親父は、ある意味えらいよ! 自分の教育の失敗を、自分で始末つけたんだから」
ぞっとしました。
みんな溜飲を下げているのです。東大卒、エリート官僚のなかのエリートが、人生の末路で崖から真っ逆さまに転落したことに……。優秀な元官僚の息子が、引きこもりであったという意外な事実に……
「どんなに頭よくたって、それだけじゃだめなんだなぁ」
という常套句は、その夜なんど聞いたか。
ようするに、その人たちにとって事件は、異世界のできごとなのです。人ごとです。

わたしにとって息子を殺めたあの老父は、ごくふつうの父親でしかなかった。高い学歴も華麗な職歴も、いち家庭人である父親の苦悩を、救ってくれはしません。どこにでもいる無力な父親なのです。
ようするに、彼は「わたし」なのです。あの事件の当事者が、わたしであってもーーべつに不思議ではありません。
ひにくなことに、運命が、老父をさらしものにして十字架を背負わせたにすぎない。背負うべきは、わたしだったかもしれないのに……

その一報を耳にしたとき、わたしの記憶は「そこ」ではなく、なぜか39年も前の神奈川県川崎市に飛んでいました。
初冬のころ、二浪人中の青年が金属バットを手に、就寝中の両親を襲い、殴り殺しました。「金属バット殺人事件」は、世を騒然とさせます。
息子の手で殺された父親は、やはり東大卒の秀才で、一部上場企業の社員でした。青年の兄も難関大学に通っており、家庭内で青年ひとり、漂うように受験の荒野をとぼとぼと歩いておりました。
たしか、わたしは小学6年生だったか。現場となった高級住宅地の自宅を、メディアがとり囲む映像が、記憶の壁に染みつきました。ニュース番組で連呼される「エリート」の声は、まるで、「エリート一家」に制裁を加える街宣車のそれに聞こえました。
おとなたちは、お茶や酒の場で好き勝手な批評をしていました。あの居酒屋とおなじような熱気でもって。
明らかに事件は、他人ごとの「娯楽」と化していたのです。

ニュースで概要を聞きかじったわたしは、青年が両親の頭めがけて、金属バットを振りおろした瞬間を、背筋を冷やしながらくり返し想像したものです。
「かれ」の生育環境と「わたし」の家庭に、まったく接点はありません。ニュース番組を斜め見するていどの、わたしの情報量では、青年の姿も像を結ばない。なのに、なぜかこのときもわたしは、あの青年は「わたし」ではないのか、と思ったのでした。

執筆の仕事をはじめてほどないころ、テレビ報道の関係者から、青年のその後を知らされました。メディア業界では、周知のことだそうです。
となれば、報道陣がほうっておくはずがありません。それまで、さまざまなオファーがされてきたようですが、そのときにいたるまで、かの青年(もう青年などではないが)は断りつづけているといいます。
「どうですか、ダメモトで、訪ねてみる気はありますか」と、わたしも話しを持ちかけられたことがありました。
足がすくみました。彼が背負った十字架は、ひょっとしたらわたしが背負うべきものだったかもしれない。そう思ったのです。

 

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2019年6月 2日 (日)

このごろのこと


昨年、裏の山椒の葉のなかにアゲハの幼虫を見つけました。
ふいに思いだして、今朝、のぞいたら、3匹おりました。
膝丈ぐらいの小さいな木です。よく見ると、きれいに葉がない枝が、ぽつぽつあります。よく食べるんだな。


古書店で買った尾形亀之助の詩集を、ときどき開きます。夏葉社が、2017年に発行した『美しい街』。挿絵に、松本竣介のクロッキーをつかっています。
わたしはこれまで、思潮社の現代詩文庫『尾形亀之助』でしか、彼の詩を読んだことがありませんでした(これはこれで、ひじょうにいい一冊)。
意外なのですが、おなじ詩でもすこし印象がちがうのです。造本はパッケージに過ぎず、詩の本質はあくまでも、そのテクストにあるとは、重々承知しているのですが……
いうなれば、『美しい街』で読む詩には、染みついた冬の寒々しさや雨の冷たさをあまり感じない。亀之助の抱く虚空が、透きとおった珠のようなのです。
誤解をおそれずにいえば清々しくさえある。
モノとしての本のおもしろさです。


2冊目の詩集をつくろうと思いたち、作業にかかることにしました。
で、なにを描くというあてもないまま、久しぶりに墨を摺ってみました。
もちろん、本がどんなつくりになるかは、この段階では皆目わかりません(挿絵が必要か、どんな絵がいいのかだって)。そもそも、版元があらわれるかどうかも。
ただ、詩稿をまとる力を借りて、同時に描きたいものを描きたいように描いておこうと考えたまで。ひょっとしたら、ことばの印象がどこかに映るかもしれない。そんなふうに思ったしだい。
さきのことは、なにひとつわからない。20年前よりも10年前よりも、もっともっと視界がきかなくなったようです。いやいや足もとでさえ、見にくい。
だから、しばらく手を動かさないと、自分がどこへ向かえばいいのかさえ、わからなくなってしまう。Fullsizeoutput_13f 気のせいか、こんなに情報があふれているのに、社会の声が聞こえにくくなっているようなのです。
和紙に墨をぶちまけたら、心なしか気持ちがすわりました。たしかにそこにあるものに、手が触れた感触。

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2019年5月26日 (日)

古書店で出会った「橋本治」

活字離れが進んだのは、人々の時間もお金もインターネットに奪われてしまったから。つまり、メディアの歴史的交代劇による。
故・橋本治は、巷にあふれていたその言説をそのまま語るのでなく、それ以前に起きていた読書の質の変化を語りました。注目したのは、意外やオイルショック後の80年代。ずいぶん古い。まだまだ書籍業界が活況だったときです。そのころ、人々にもっとも影響力のあったメディアは、インターネットではなく、テレビでした。
現代の生活に不可欠な地下資源の危機を克服した(と思い込んだ)人々は、「「これまでのあり方」を振りかえって、未来を検討する」ということをしなくなった」といいます。
その代わり、
「「その未来にはこうすればいい」という予言の書ーーつまり、分かりやすくてすぐに役に立つ「理論の書」を求めるようになったのです」

「消費者は王様だ」とまで言われた20世紀後半、右肩上がりの景気しか知らなかった出版界は「理論」をどんどん分かりやすくする方向に進みます。
「なぜそんなことをしたのか? わかりきっています。理論を売る出版社も、また「大衆相手の商売」だったからです。時は折しも、「活字離れ」が言われてしまうような時代です。ただでさえ本から離れそうになる「客」を引き寄せるために、「こんなに分かりやすいですよ。すぐ読めますよ。役に立ちますよ」というアピールをしました」
橋本はこう指摘します。
「書かれた文字をたどって行けば、すぐ「分かった!」の正解にたどりつける。それは、「理論のマニュアル化」であり、「本のファストフード化」です」
ファストフードに慣らされた読者は、もっと安価でわかりやすい味のファストフード(メディア)にすぐに食いつく。そういう嗜好を、意図せず出版は育てていくことになる。言いかえれば、「行間を読む」という読書体験における読者の「分担」を、放棄させてしまうことになりました。
橋本曰く、「本を読む上で一番重要なのが、この「行間を読むです」(中略)「書かれたこと」の間には「書かれていないこと」があるのです。その「書かれていないこと」が、読者が探り当てて考えるべき「自分の必要なこと」なのです」

橋本の『大不況には本を読む』(中公新書ラクレ)が出版されたのは、いまからちょうど10年前、2009年です。リーマンショック直後の不安感が重く、世界経済が今後どうなるか不透明な時期でした。
本書で橋本が、話題の主軸に据えたのは、じつは経済の話でした。産業革命、江戸時代、明治の近代化や戦後の高度成長期、日米通商交渉など、彼は場面ごと過去にたちかえり、世界と日本の「いまがある」理由を探します。
実際、タイトルどおりの「読書」の話など、10分の1にも満たないかもしれません。
で、最後のさいごに、本を読む意味に帰結していく。本書の構成が示すとおり、読書とは、知りたいこと、目的やさがす目印にたどりつくまで、かくも労力のいるものです。手間がかかる。金も時間も。こたえは遠く、実際、それは明確に示されません。
そりゃ、ファストフード化した情報のほうが、食いやすいわけです。

結果として、一冊に関わると、嫌でも立ちどまらざるをえません。でも、立ちどまることそのものが、読書体験だともいえます。
わたしはこの一冊を、三鷹の古書店で見つけて購入しました。あてもなく、棚を眺めていたら背表紙がふと目にとまりました。故人から、「やぁ、こんにちは」と声をかけられて、まさに立ちどまったわけです。で、「あれ、橋本さんじゃないですか」とあいさつし、しばし話を拝聴するにいたった次第。

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2019年5月19日 (日)

このごろのこと


さきの連休中のこと、住宅地の民家の一室を開放して、装丁家の桂川潤さんの作品展が開催されているのを知りました。名前は存じ上げておりますが、面識はありません。
偶然にも会場は、3駅ばかりさき。
装丁の仕事について、直接相談してみようかという漠たる思いつきが、ふいに膨らんだ次第。それが、じきにしぼむのは、いつものことです。そのまえに、ペダルをこぎだせ。そう、自分に檄を飛ばして、引っ越してからめっきり活躍の機会が減った自転車のタイヤに、空気を詰めました。

 

人文書を中心に、小説、写真集など手がけた書籍のジャンルは、じつに幅広い。
ご当人と少しだけ話をする機会があって、僭越ながらわたしの詩集『おぎにり』を差しあげました。で、「お返しというわけはありませんが」と、自著『装丁、あれこれ』(彩流社)をいただく。『出版ニュース』の連載を軸に、書籍と装丁に関するコラムを一冊にまとめた本でした。

 

この一週間ばかり、ずっとそれを読んでおりました。
「装丁」を入り口に桂川さんの思索は、電子書籍、リアル書店、同業者トップランナーの仕事哲学、行き詰まる総合出版社と小出版社やブックカフェの勃興と挑戦、ブックデザインとはなにかというふうに、迷走する出版世界を縦横にはしります。
で、話の辻々で、わたしも面識のある人、人を介してつながる人々が登場してくる。
内容のおもしろさもさることながら、思いがけず、著者との不思議な距離感を意識する、希有な読書体験でした。
「モノとしての本に対する時、まず目にするのは装丁。現実世界と異世界とをつなぐ魔法の扉だ。「本の顔」であり、「時代の顔」でもある。その扉を開けば、わたしたちは目眩くテクストへと誘われ、扉を閉じれば現実世界へ戻る」(同書「現実と異界をつなぐ扉)より)

 


おりしも、この書を読み終えるころ、さるノンフィクション作家の大先輩Tさんが、食事に呼んでくださった。お会いするのは、すいぶん久しぶりです。
体調を崩してリハビリ中でありながら、Tさんは病気の前後に考えてきたこと、試してみたこと、見えた課題などを話してくださった。
いかんせん話題が行き着くさきは、崩壊やまぬ出版世界のことになります。まさに共感すること、すこし現実への考え方や認識がちがうと思うこと、いろいろあったけど、愉しいいっときでした。
翌朝、いただいた丁寧なメールには、わたしのいまの執筆の状況に対する率直な言葉(歯がゆさ、叱責と激励)がたくさん詰まっておりました。
ありがたいことです。つい、PCにこうべを垂れました。
昨今、遠くに漂うばかりとなった出版世界が、めずらしく身近に感じられる出来ごとが、ぽつぽつと重なりました。
縁と機会というのは、こんなふうに、つながるときはつながるらしい。

 

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2019年5月12日 (日)

このごろのこと


予約した歯科医に出かけた帰り道、天気も気分もよかったので、家にもどらず銭湯に寄りました。こういう日は、だいたい風呂道具一式を、かばんに入れておくのです。
3時を少しまわったところ。まだシャッターが閉まっていて、おばあちゃんが10人ほど待っておりました。
ひとりが、わたしに尋ねる。
「あんた、時計持ってる? あっ5分すぎとるな」
言い終わるやいなや、シャッターがガラガラと上がりだしました。

男湯ののれんをくぐったのは、わたしともう一人のみ。考えてみれば、一番風呂は初めてです。さんさんと注ぐ陽射しが、湯のなかでゆらめいています。
なんとぜいたくな時間か。大きく足をのばしたとたん、たいくつそうに留守番をしているぶちの顔が浮かびました。〈用事がすんだら、とっとと帰ってこいよ。おやつが遅れるだろ〉


近くにできたホームセンターに、レモンの苗木を探しにでかけました。
一年中、青々としている柑橘系の木がほしくって、なににしようかと1年ほど考えた末のこと。
お店にあったのは、温州ミカンのみ。
「レモンはついこの間まで、毎週入荷していたんですけども、今期はもう入ってきません」とのことでした。
残念です。

帰り道、無人野菜売り場に立ちよりました。この時期に買うのは、決まってスナップエンドウです。
さっと湯がいて、マヨネーズで食べるのがいい。ビールがあれば、なおのこといい。
もう一軒の無人野菜売り場では、ラベンダーとバジル、チャービルの苗も買いました。

ラベンダーが150円、あとは全部100円。販売と輸送の手間が省かれているので、たったいまのぞいたホームセンターのものよりも安い。
すぐ近所にコンビニやスーパーがないので、引っ越してこのかた無人野菜売り場の前を通るときは、とりあえずのぞくようになりました。
出歩くときは100円硬貨が欠かせません。

 

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2019年5月 6日 (月)

「天子」の祝詞

令和がはじまったといいます。はじまるからには、なにかの終わりがあるわけです。でも、昭和も平成も終わってなどおりません。この社会が積みあげた歴史は、ずっと継続されております。時間軸の「記号」が変わっただけで、一切なにも変わりません。

日本に住む外国人のツイッターのなかに、「令和」のはじまりについての観察が、ぽつぽつと見えました。
そのひとつに、日本人はみな大喜びしている、まるでなにもかもが新しくなるかのような祝賀ムードだ、という主旨の感想(皮肉や嫌みではなくってね)がありました。それは大きく間違った認識ではないなのかもしれません。日本人が(無意識のうちに)畏怖してきた天皇の力の本質を突いているのです。

雄山閣が1935(昭和10)年に刊行した『国語国文学講座』15巻に、折口信夫の「祝詞」(のりと)という論文が収録されています。
天皇制とはなんだろう、というわたしの素朴な問いに対し、考える杖の一本となってくれた一節がここにあります。これが、いま読みかえすとおもしろい。
「昔は、生活というものは、四季の移り替わりも、農作物の出来映えも、祭の来るのも総て周期的に皆元に戻って、毎年々々同じように春から始まって冬に終わると考えて居た。つまり、日本の国では単に理屈の上ばかりでなしに、一年が暦の一区切りで、来年は又元へ戻って、何もかもがすっかり初めに返るのである。此様に、暦の移り替わる時、万物が総て再び、新たな其の生活を始めようとする時、一定の場所で唱えるのが祝詞なのであった」(注:旧仮名遣いと送り仮名は、わたしが改めました)
森羅万象をリセットする大号令。まさに神業である、この祝詞を、唱えることができるファンタジスタはだれでしょうか。それは「天子」しかおりません。
「天子は、暦を自由にするお力で人民に臨んで居られる。此が日本古代人の宮廷に対する信仰であった」
詔勅や元号にも、これとどうようの威力が宿ったと考えていいでしょう。
「天子が祝詞を下される。すると世の中が一転して元の世の中に戻り、何もかも初めの世界に返って了う」
この国の思考的な素地を考えるとき、案外見過ごされているのがこのリセットへの信仰だと、わたしは思っています。課題を直視したり、整頓して次に引きつぐのではなしに、うまくいかなかった昨日を今日と切りはなして、「一新」という荒技にはしってしまう。
あるいは、まっさらなもの(こと)に、たいそう重い価値をおく。

さて、このように超人的な古代天皇像をじつに大胆に、近代の国民国家と結びつけたのは、水戸学の影響を強く受けた維新の功労者、つまり明治政府の中枢をになった者たちでした。
古代信仰の復活と、国民国家の建設を抱き合わせるーー
ここに、大きな矛盾が生じます。この解きがたい結び目こそが、戦前の日本を支配した「国体」という概念なのです(がんじがらめのコメ結びになっちゃってるね)。

折口によれば、祝詞には、社会の賃借関係を元にもどす世俗的な力(経済政策の権限)と、時間をまきもどして世界を「白紙」にする超越的なものと2種あったといいます。
明治国家ができたとき、天皇個人が徳政令を発する余地など一部もないのは明らかです。とすれば、政府が認めた(求めた)のは、「何もかも初めの世界に返って了う」という超越的な能力であったといえます。

令和の「おまつり」を目のあたりにして、ふいに思いだしたのがこの折口論文でした。
「おめでたい」という熨斗にくるまれて、巷に満ちているのは、じつは不満と表裏の「一新」への渇望感だと思えたのです。
べつに、それ自体はよいのです。
しかし歴史は、教えます。近代国家になった日本が、天子の能力を借りようとしたときは、どこかに暴走の危機をはらむと。

 

天皇制を、国のありようを規定する憲法に持ちこんだとき、天皇制そのものがおおきな「無理」となりました。その無理に政治権力や市民の欲望が逃げ込むと、無理が無理を呼ぶことになる。
象徴となったいまとて、その無理は存続しています。

 

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2019年4月30日 (火)

こぬか雨

東京は、一日、静かに降りました。
大雨というほど激しくなく、じとじとというほど鬱陶しいわけじゃない。
あるにこしたことはないけれども、長い道のりでなければ、レインコートも傘もなくて我慢できる。
外出の装備に手まどる雨は苦手なことこのうえないのだけれども、この手の降りは、じつは嫌いではありません。
ともすれば、どこかに出かけたくもなる。

ずいぶん昔のことですが、小糠(こぬか)雨という言葉を知ったときは、その響きの妙味に感激しました。霧雨と同義ですが、もうすこし細やかな水滴の雰囲気が感じとれます。足もとの濡れ具合までが、想像できる。
どことなく、感じがいいのです。

都心に所用があったついでに、夕暮れ近く、しばらく気になっていた喫茶店に立ち寄ってみました。
ドアのたたずまいが古めかしい。間口は狭い。入り口には焙煎機があって、店主が黙って仕事をしています。奥のカウンターはわずか5席ほど。なかは暗く、傘つきの電灯が4つぶらさがっていました。
音楽もなにもない。焙煎機が働く音と、豆からぬけでた煙がふわふわと浮遊するだけ。
本日のコーヒーは、290円也。立地を考えれば、かなり安いといえます。
湯はぬるく、コーヒーにえぐみはまったくありません。このうまみを味わうには、ほどほどの速さで飲み干すのがいいでしょう。
カップの渋い趣味も、よく店になじんでいました。
長居をする場所でなく、一杯を飲み終えたら、早々に席を立つのがよさそうです。なにごとも塩梅が肝心です。
店主は、まるでそっけない。たのしくもないが、不愉快だというわけでもありません。

店を出てかさを開くと、重い空からあいかわらず、こぬか雨がまかれておりました。
いつもの地蔵さまに手をあわす。
いい雨ですなぁ。

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2019年4月28日 (日)

詩の神さま

一日を無気力に過ごし、じきにふとんにもぐらんとしております。
やったことといえば、掃除と夕飯づくり(鶏胸肉の味噌ガーリック風味ソテー、手羽元と大根煮)、銭湯に出かけたぐらい(2時間半もおったな)。そうだった、ぶちの散歩も。まっ、ぶちにしてみれば、あいつと歩いてやったと、なるのだろうが。

 

それでも、掃除の手を休める間なんかに、詩はできてしまったりする。不思議です。妙なもんです。
素材、構成の見通しがないと手が動かないドキュメンタリーやフィクションの物語づくり、コラムなんかとは、そこがまるでちがいます。
いつなにがなくとも、詩ははじまる。
できるときは、勝手にできる。ふっと一行が降りてきて、しばらくすると次の言葉がやってきます。
走りすぎてもいけないから、まぁこのへんでやめておくかと思っても、ことばが追っかけてきたりもします。
と、べつの詩まで降りてきて、両手ですくい切れない、のです。

 

ところが、なにかの目的意識を持って詩を書こうとしても、書けるもんじゃない。書けないときは、書けない。なにをやっても……
たとえば、みなを共感させようとか、覚醒させようとか、社会を変えようとか、マーケットのために最大公約数的な感動を演出しようなどとしたとたん、詩の神さまは姿を消してしまうのです。詩は、だれのためでもなく、だれの役に立たずともよいといわんばかりに。気まぐれで、勤勉でない。
すくなくとも、わたしの身辺をうろうろしている神さまはそうです(ほかの人の神さまはちがうと思うが)。
その代わり、詩なんかどうでもいいときに、気がつけば足もとにおります。
おぃ、筆を持てよと。

 

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2019年4月20日 (土)

田村隆一のたわごとと酒

最近、用もないのに酒を飲むようになりました。そもそも、なにかの用事がないと飲めないもんじゃないけども。
前ならば、1年に数度しか口にしなかった日本酒にも、なんとなく手がのびたりします。
まぁ、一種の現実逃避だろうと思いながら、肴の豆菓子をひと粒、ふた粒とかんでは、酒をやる。
うまいなぁ
と、なんだか人生の終着点が見通せるような気がして、つかの間あんどする。
考えることと言えば、飲んでいる酒にあう肴のことぐらい、です。

こういう、非生産的、ただ酔うためだけの酒を飲むときは、田村隆一の詩集やら半分酔っ払った手で書いたかも知れない酒(とくに敬愛したウィスキー)の散文に手がのびるのです。
これまでまったく田村隆一を読まなかったわけではないのですが、積極的に読みたいと思うことはなかったなぁ。
そう、20代、30代、40代は、生まれたからには、なにかやらないといけない、次代に残す一冊にとりくまないといけないと、常にどこかに緊張(意気ごみ)があったたのかもしれません。それじゃ、酒飲み田村のたわごとにつきあう余地はなかったでしょう。

田村隆一のことばを、酒をやりながら眺める。
なにがいいのかといえば、詩に感服したり、うなづいたりするところがないこと。名言もないこと。ときどき、あきれ、少しだけ苦笑するところがあること。散文と詩の境目も、せいぜいが「改行」の見てくれていどで、ほとんどないこと。
まぁ詩って、こんなものでいいよなぁと、こんなところで納得してしまう。

短い散文「自然人の酒」で、自分の好き嫌いを述べたくだりは、こんな具合です。

酒ならば、どんなものも好きだ。酒を飲まないときは、ダイフク、みつ豆、鯛焼のたぐいを好む。有限責任の「法人」は嫌い。お金と、ぼく自身を好む。
と云っても、いまや詩人までプロダクションになってしまったのだから「自然人」という無限責任を背負っているのは、ぼくぐらいなもの。近代国家そのものが、法人で、国民は一株を持っているだけ。その一株を数多く集めたものが議員さん。

そういう国にあって、昨今、飲まれる機会が減った日本酒はまさに「当選御礼」やら「相撲の優勝祝い」や「法事」にしか顔をださなくなった、と皮肉まじりにいう。権威的だったり、形式張った酒は、田村が愛する酒を愉しむ風景ではないのです。このコラム(たわごと)は、こう結ばれています。

自然人は黙ってウィスキーを飲む。

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