2019年8月18日 (日)

「英霊」の季節

8月15日前後に、「英霊」という言葉が、決まってメディアを飛びかいます。飛行機が、あえて市街地を低空で飛行するかのように。たとえば、自民党の稲田朋美衆議院議員は、次のようなツィートを発信しました。

令和最初の靖国参拝。朝、安倍晋三自民党総裁の代理として参拝し、その後「伝統と創造の会」のメンバーと参拝しました。いかなる歴史観にたとうとも祖国のために命を捧げた英霊に感謝することなくして道義大国は実現しません。

わかるような、わからないような。
ただ、末尾の文章の次なる組みたては、すぐに理解できました。「英霊への感謝」が、彼女が訴える「道義大国の実現」を肯定するか否かの「踏み絵」となっているのです。
なにか、ひっかかるよね。だって、いかに戦争を知らない世代とはいえ、戦没者を悼む気持ちに大差はなく、その供養を否定する現代人はまずいないでしょう。「いかなる歴史観に立とうとも」、です。
ならば、彼女の主張は現実的に否定しようもない、ことになる。

日本近現代軍事・政治史を研究してきた吉田裕・一橋大特任教授の近著『日本軍兵士』(中公新書)では、日中戦争以降の軍人・軍属の戦没者230万人のうち、栄養失調など体力の消耗による病死者をも広義の餓死者ととらえ、その数を約140万人と推計しています。じつに全体の61パーセントです。
さらに資料を精査すれば、負傷兵への自殺の強要や私的制裁による自殺といった隠された状況も見えてきます。稲田さんが言うように「祖国のために命を捧げた英霊」のイメージとは、かなりかけ離れています。敵と戦うまでもなく、組織体制によって膨大な命が消耗されたのではなかったか。

戦争という状況下で受けいれざるを得なかった、これらの死を「祖国のために命を捧げた英霊」と一括りにする人たちに共通の話法があります。
その英霊によって現代の平和はもたらされた、という前向きな歴史解釈です。彼らは、英霊を祀る靖国神社を詣でる自分の行為を、このような文脈のなかに意味づけして、かつての「聖戦」を肯定してみせるわけです。
つまり、いまだに敗戦という歴史事実を真摯に引きうけない人たちこそが、「英霊」を「使役」することをやめないのです。おのれの政治信条の補強に、「英霊」を動員することに、なんの疑問も感じない。おそらく、あの戦争で無為に人々の命を浪費したのは、そのような指導者たちだった気がします。

死者が家族のもとに、つかの間帰るという盆のさなか、「英霊」は、ことしも世間をさまよいました。
「もうやめないか。大日本帝国も国体も、なくなったんだよ。道義大国ってなにさ」
霊たちが、そでを引っ張ったとしても、胸を張って靖国の鳥居をくぐる人々の耳に、それはとどかないようです。

 

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2019年8月 8日 (木)

彼についてのおぼえがき

神保町交差点のちかくで、彼とばったり会ったときのことを、このごろよく思いだします。
東日本大震災の年で、まだ社会が混乱の余韻をひいていた初夏に、拙著『君は隅田川に消えたのか』が刊行されました。直後、書籍の舞台だったかんらん舎で鉢合わせたのが、初めての出会いでした。
執筆中に、見も知らぬわたしに資料を一冊とどけてくれたという奇特な方で、画廊主のオータニさんが紹介してくれたのです。が、そのときは、とおりいっぺんのあいさつをしたぐらいでした。

まさにその10日ぐらい後でした。
神保町交差点の地下鉄に向かって歩いているときに、ふとたちどまりました。とくに、理由はないのですが、なんとなく足がとまったのです。
振りかえったら、大柄で坊主頭の男が背中にバックパックを背負い、片手にもいかにも重そうな袋をさげて、汗だくになってもくもくと歩いてくるではありませんか。ジーンズにスニーカー、シャツというよくある出で立ちでしたが、どうにも異様な風体です。
あっ、と思いました。つい先日、かんらん舎で会ったあの人ではありませんか。うつむいたまま彼がわきを通り過ぎようとしたとき、
「ヒロセさん」
と、声をかけると、相手は背後を突かれたようにひょいっと面をあげ、やがて満面の笑みを浮かべました。ほんとうにくしゃくしゃの顔で、笑うのです。で、少々ひかえめに、こう言いました。
「ねぇ、いまちょっと時間あります?」
「えぇ」
「これから、すぐさきの喫茶店でビールを一杯飲もうと思っていたんですよ」
神保町で古書をさがした帰りは、決まってそこの椅子に座るのだということでした。

1時間ほどいた喫茶店で、バックパックからとりだした画集を開いたりしながらなにを話しのかは、あまり覚えていません。別れ際のあいさつはこうでした。
「よかったら、こんどオータニ君と3人で一杯やりませんか。連絡しますからね」

あれから数えると、彼と共有した時間は、8年ということになります。たった8年です。それが不思議でなりません。
もっともっと長い時間、いろいろなことを話した気がして、指を折ってみるのですが、やっぱり8年です。
このさき一緒に過ごす時間は、もうないのです。8年は、ずっとそのまま、9年にはならないのです。
「ねぇ、いまちょっと時間あります?」
という誘いも、2度とないのです。
あぁ、おわかれするって、そういうことなのか。

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2019年7月23日 (火)

ほんとうに帰らないつもり?

友人が逝ってしまい、じきに10日になるのだけれども、あの一報はなにかのまちがいだった気がするのです、いまだに。待っていれば、いずれメールがくるかもしれない。電話が鳴るかもしれない。やっぱり、そんな気がしてならないのです。

友人と言ったものの、正直、だいぶ年上の彼をどう呼んでいいものか、いまごろになってわかりかねている始末です。どんな関係であったのかと問われたならば、即答はできないなぁ。
なぜだか、あれやこれやの世話を焼いていたもらったことだけはたしかです。他人とは思えないほど懇切に。それに対して、礼をかえしたり、こちらからなにかをしてあげたことがないのも、またたしかです。
言ってみれば、ただそれだけ、奇妙な間柄です。
いまさらですが、生年月日も知らなければ、写真の一枚とて持っていない。享年だって、はっきりわからない。
彼について知っていることは、ただひとつだけ。
自分の「好き」が、ゆらぐことはなかった。好きな歌、好きな絵、好きな詩、好きな句を、いつも大事にだいじに抱えていたっけ。

それにしても突然すぎて、あまりにあっけなくって、なん日たっても、あなたがいないということが理解できません。
行き先も告げずに、いったいどこに行ってしまったんだろうか。ほんとうに、もう帰らないつもりなんだろうか……
ただただ、さみしいのです。

煙るよふけ 逝くきみにわたすかさはなく

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2019年7月 8日 (月)

このごろのこと

 


サイダーの泡立ちて消ゆ夏の月

たまたま目にした一句。夭折した現代の俳人のものかと勝手に思ったが、さにあらず。作者は山頭火でした。山頭火にはときどき、時間をひょいっとくぐりぬけてしまうような、不思議なぐらいかろやかな句がある。


ぶちの左耳が折れ曲がったままなおらない。ソファで激しく頭をこすったときに、折れたらしい。治療はしようもないという。フレンチブルドッグらしい、ぴんとたった耳が、ひとつなくなってしまうと少々不格好です。まぁいい、ぶちはあいかわらずぶち。


オーウェルの『動物農場』を新訳(ハヤカワepi文庫)で再読。読みながら、あぁこんな展開だったなと、かつての記憶をひきずりだす。
おどろくほどのリアリティに、たじろぐ。冷戦時代も現代も変わらぬテーマの核心を、彼はたしかにつかんでいます。権力と民主主義の分かちがたい境界線、あるいは平等と自由の可能性と限界をーー。
これもまた時間のフィルターをくぐりぬける一冊。

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2019年7月 4日 (木)

「暗黒時代」

いたしかたない事情があり、こんどの参議院選挙に出馬する古株自民党議員の出陣式の席に座りました。
古参の先生方が駆けつけて、次々と応援のスピーチをぶつ。スピーチの切り口はそれぞれ異なるのですが、複数の方が決めぜりふのごとく、おなじひと言をおっしゃる。
「暗黒時代」が、それです。
第二次安倍政権誕生の前に、政権をとった旧民主党の政治を指しております。
「あの暗黒時代のあとに、われわれの安定政権が社会を成長させ、ここまで建て直したのです」
といった調子。
しかし、だから「我々」がどんな社会をつくってきたのか、どんな社会をつくりたいのかは、語られない。財政も食料の安全保障も、軍事の安全保障も、ジェンダーと人権の課題も、社会のセーフティーネットも、対東アジア外交も日米外交も、なにも出てこない。
おひと方だけ。安倍さんの広報そのままに「完全雇用を達成した。働こうとさえ思えば、だれもが働ける豊かな社会である」と大きな声でおっしゃった。

ようするに、応援演説の先生方はそろって「暗黒時代」か、それともいまの「成長社会」かと、有権者に二択をせまっていたのです。でもこれは、よくよく考えてみると、なにも語っていないにひとしい。だって、この社会が直面している課題は、そんなふうに集約できるほど、単純じゃないもの。
熱烈な支持者(あるいは利害関係者)とはいえ聴衆の前にすすみでて、政治を語るたいへんな好機にもかかわらず、雁首をそろえて先生方は「暗黒時代はいやだよね」とくり返すのみ。有権者に判断すべき未来像や具体的な政策手段を、一切示さないのです。変わらぬ選挙風景とはいえ、これで、民主的な選挙そのものが成立するのであろうかと……少々暗澹たる気持ちにならざるをえない、この日の空模様のように。語らないのは手段であり、しかし同時に、だれも語るべきものなど持ってはいない。どうも、そのようです。
おそらくこれは、国政選挙、あるいは民主主義に対する民意の鏡なのです。
先生方のことばの貧しさは、わたしたちの知的貧困そのものなのです。
さいごは、左手を腰にあてた「勝つぞ!」の連呼が、講堂せましと響きました。支持者の笑顔をぬって、どうにか地下鉄駅にたどりつきました。

 

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2019年6月29日 (土)

このごろのこと

 

 

金時鐘氏や田村隆一の詩をしばらく読みふけっておりましたが、それが落ちついてしまうと、なんだかめくるものがない。
読むべき書はヤマほどあって、必ず読みかけの一冊がカバンにはいっているのだけども、時間を埋める「なにか」がないのです。
じゃ、時間があまっているのかといえば、そうではない。むしろ、まったく足りないのです。

「なにか」とは、なにか。
それは、詩でないといけない。あるいは、ことばでなくともいいけれど、やはり詩的なものでないと。
考えだすと、いつものところに行き着く。
そもそも、詩などなくとも、だれもこまったりはしないーー
この戸惑いに似た問いを、うまくひっくり返せるものならば、きっと詩とはなにか、という明らかなこたえが見えるはずです。
けれども、ひっくり返せそうでいて、うまくいかない。ひっくり返したつもりでも、ひっくり返せてはいない。
イカの皮むきのような塩梅にはいかないのです。

根源的な課題や命題の核心部は、そのようにしてあらわになるという漠たるイメージが、なぜかわたしのなかに、昔からあるのです。
ブッダが、立てた命題「根源的な生存欲の滅却」というのは、まさに「生きる意味」を、みごとにひっくり返してみせたのではないかと思う。その思考法、そのものが、だれも見たことのない地平の発見であったはずなのです。

脱線してしまいました。
人にとって、ことばほど有用なものはない。けれども、どこかでことばは、それに抵抗してきた、ずっと。ことば自身の意志で。
その過剰なまでの実用性と機能を無化しようとする磁力を、根本に持っている。そうやって、ことばを駆使するがための精神の不調と、釣り合おうとするのです。
究極のかたちが詩かもしれない。だから詩には、なんの意味がなくても、なんの実利がなくとも許される。そんなものは、詩ではないとは、だれもいえないのです。そんなものでも、詩でいいのです。まぁ、詩なんだから、なんだっていいよ、なのです。最近、ぼんやりと考えたことです。Fullsizeoutput_13b

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2019年6月23日 (日)

『誰もがそれを知っている』

〈シネマ手帳〉No50

 

土地に根ざした田舎の人間関係は、濃密です。ゆえに、隠しごとがきかない。「公然の秘密」が、そこかしこにあったりします。
『誰もがそれを知っている』のです。しかし、だれもがそれを口にはしません。当人の前では、絶対に。居心地のいいコミュニティーは、そういう暗黙に守られています。

スペインのある農村に、妹の結婚式に出席するためラウラ(ペネロペ・クルス)が二人の子を連れて帰郷します。アルゼンチンに暮らすラウラの夫(リカルド・ダリン)は、地元の教会に多額の寄付をした実業家として有名ですが、今回は仕事のために同伴できない。
彼女を迎える幼なじみの男性・パコ(ハビエル・バルデム)はじめ、旧知の人々とのあいさつは、親密で温かい。土地柄といっていいでしょう。
親族、近隣の住民が集まった結婚式は、盛大にとりおこなわれます。その披露の宴のさなか、大雨に打たれるラウラの実家の一室から、思春期の長女が連れ去られます。結婚式を狙い、村に通じる電線を切断した計画的な犯行でした。凱旋のようなラウラの帰郷は、いきなり暗転します。

ラウラの実家と家族同然であるパコにとっても、事件は人ごとではない。ところが、奇妙なことが起こるのです。なぜか身代金を要求する犯人グループのメッセージが、ラウラと、そしてパコの妻のスマホにまで送られてきたのです。
警告を無視して、警察に通報することはためらわれます。では、犯人の目的はなにか。はたまた狂言か。だれが巨額の金を用立てるのか。家族の心労、疑心暗鬼が積もりだすと、痛い記憶や恨みを押しこんだ小箱のフタがかんたに開いてしまう、のです。
大地主であったラウラの父が昔、博打で多くの資産をなくしたこと。ワイナリーを成功させたパコの農地は、ラウラを介してその父から安価で手に入れたこと。パコが使用人の子どもであったこと。駆けつけたラウラの夫が、とうに事業に失敗していたことーー。
じつはほかにも、秘めごとがあって、これもまた「だれもが知っている」事実だったのです。それによってパコは、事件から引くに引けない崖っぷちに、追い詰められることになる。

監督のアスガー・ハルファディは、1972年生まれ、イラン出身。『彼女が消えた浜辺』でベルリン映画祭の銀熊賞、『セールスマン』でカンヌ国際映画祭の脚本賞、男優賞を受賞した、世界が注目するフィルムメーカーです。トランプの政策を批判して、主演女優とともにアカデミー賞授賞式をボイコットしたニュースは、記憶に新しい。
初のスペインロケとなった本作では、主な役に、スペイン出身のペネロペ・クルス、ハビエル・バルデム(実生活ではペネロペの夫)、アルゼンチン出身のリカルド・ダリンといった、名優たちを惜しげもなく起用しています。錚々たる顔ぶれ。
なにかをきっかけに、ほどけたり、崩壊する人間の心もようを淀みなく、巧みに表現するのが、アスガー作品の見せどころ。
壊れた心や現実がどこに行き着くのかを、追っかけているわたし自身はといえば、気づけば、いつもその展開に追い越されているのです。明かりがついた館内で、描かれなかった「それから」に思いをはせなかったことは、ありません。

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(監督・脚本:アスガー・ハルファディ/出演:ペネロペ・クルス、ハビエル・バルデム、リカルド・ダリン他)/2018年 スペイン・フランス・イタリア/スペイン語/133分 Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町他)

 

 

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2019年6月13日 (木)

彼の十字架は彼のものか

以前、住んでいた街の居酒屋に知人とおりました。先週末のこと。
元農水省事務次官だった老父が、引きこもりの息子を刺殺したという話題で、客が盛りあがっておりました。そのはずで、現場はすぐ近所です。客は、このあたりの常連ばかり。
小学生の子を持つらしいある親が、大きな声で言いました。
「こんなこと言っちゃ悪いが、かえってよかったんじゃないか! 他人を殺すぐらいだったら、家族の手で死んでもらったほうが」
もし父親が刃物を手に行動しなかったら、息子は家の外で無差別殺人事件をひき起こす。なんと、それが当然のことになっているらしい。
そんなこと、だれにもわかりはしないのに。
連れの客が、これまた大きな声で応じました。
「あの親父は、ある意味えらいよ! 自分の教育の失敗を、自分で始末つけたんだから」
ぞっとしました。
みんな溜飲を下げているのです。東大卒、エリート官僚のなかのエリートが、人生の末路で崖から真っ逆さまに転落したことに……。優秀な元官僚の息子が、引きこもりであったという意外な事実に……
「どんなに頭よくたって、それだけじゃだめなんだなぁ」
という常套句は、その夜なんど聞いたか。
ようするに、その人たちにとって事件は、異世界のできごとなのです。人ごとです。

わたしにとって息子を殺めたあの老父は、ごくふつうの父親でしかなかった。高い学歴も華麗な職歴も、いち家庭人である父親の苦悩を、救ってくれはしません。どこにでもいる無力な父親なのです。
ようするに、彼は「わたし」なのです。あの事件の当事者が、わたしであってもーーべつに不思議ではありません。
ひにくなことに、運命が、老父をさらしものにして十字架を背負わせたにすぎない。背負うべきは、わたしだったかもしれないのに……

その一報を耳にしたとき、わたしの記憶は「そこ」ではなく、なぜか39年も前の神奈川県川崎市に飛んでいました。
初冬のころ、二浪人中の青年が金属バットを手に、就寝中の両親を襲い、殴り殺しました。「金属バット殺人事件」は、世を騒然とさせます。
息子の手で殺された父親は、やはり東大卒の秀才で、一部上場企業の社員でした。青年の兄も難関大学に通っており、家庭内で青年ひとり、漂うように受験の荒野をとぼとぼと歩いておりました。
たしか、わたしは小学6年生だったか。現場となった高級住宅地の自宅を、メディアがとり囲む映像が、記憶の壁に染みつきました。ニュース番組で連呼される「エリート」の声は、まるで、「エリート一家」に制裁を加える街宣車のそれに聞こえました。
おとなたちは、お茶や酒の場で好き勝手な批評をしていました。あの居酒屋とおなじような熱気でもって。
明らかに事件は、他人ごとの「娯楽」と化していたのです。

ニュースで概要を聞きかじったわたしは、青年が両親の頭めがけて、金属バットを振りおろした瞬間を、背筋を冷やしながらくり返し想像したものです。
「かれ」の生育環境と「わたし」の家庭に、まったく接点はありません。ニュース番組を斜め見するていどの、わたしの情報量では、青年の姿も像を結ばない。なのに、なぜかこのときもわたしは、あの青年は「わたし」ではないのか、と思ったのでした。

執筆の仕事をはじめてほどないころ、テレビ報道の関係者から、青年のその後を知らされました。メディア業界では、周知のことだそうです。
となれば、報道陣がほうっておくはずがありません。それまで、さまざまなオファーがされてきたようですが、そのときにいたるまで、かの青年(もう青年などではないが)は断りつづけているといいます。
「どうですか、ダメモトで、訪ねてみる気はありますか」と、わたしも話しを持ちかけられたことがありました。
足がすくみました。彼が背負った十字架は、ひょっとしたらわたしが背負うべきものだったかもしれない。そう思ったのです。

 

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2019年6月 2日 (日)

このごろのこと


昨年、裏の山椒の葉のなかにアゲハの幼虫を見つけました。
ふいに思いだして、今朝、のぞいたら、3匹おりました。
膝丈ぐらいの小さいな木です。よく見ると、きれいに葉がない枝が、ぽつぽつあります。よく食べるんだな。


古書店で買った尾形亀之助の詩集を、ときどき開きます。夏葉社が、2017年に発行した『美しい街』。挿絵に、松本竣介のクロッキーをつかっています。
わたしはこれまで、思潮社の現代詩文庫『尾形亀之助』でしか、彼の詩を読んだことがありませんでした(これはこれで、ひじょうにいい一冊)。
意外なのですが、おなじ詩でもすこし印象がちがうのです。造本はパッケージに過ぎず、詩の本質はあくまでも、そのテクストにあるとは、重々承知しているのですが……
いうなれば、『美しい街』で読む詩には、染みついた冬の寒々しさや雨の冷たさをあまり感じない。亀之助の抱く虚空が、透きとおった珠のようなのです。
誤解をおそれずにいえば清々しくさえある。
モノとしての本のおもしろさです。


2冊目の詩集をつくろうと思いたち、作業にかかることにしました。
で、なにを描くというあてもないまま、久しぶりに墨を摺ってみました。
もちろん、本がどんなつくりになるかは、この段階では皆目わかりません(挿絵が必要か、どんな絵がいいのかだって)。そもそも、版元があらわれるかどうかも。
ただ、詩稿をまとる力を借りて、同時に描きたいものを描きたいように描いておこうと考えたまで。ひょっとしたら、ことばの印象がどこかに映るかもしれない。そんなふうに思ったしだい。
さきのことは、なにひとつわからない。20年前よりも10年前よりも、もっともっと視界がきかなくなったようです。いやいや足もとでさえ、見にくい。
だから、しばらく手を動かさないと、自分がどこへ向かえばいいのかさえ、わからなくなってしまう。Fullsizeoutput_13f 気のせいか、こんなに情報があふれているのに、社会の声が聞こえにくくなっているようなのです。
和紙に墨をぶちまけたら、心なしか気持ちがすわりました。たしかにそこにあるものに、手が触れた感触。

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2019年5月26日 (日)

古書店で出会った「橋本治」

活字離れが進んだのは、人々の時間もお金もインターネットに奪われてしまったから。つまり、メディアの歴史的交代劇による。
故・橋本治は、巷にあふれていたその言説をそのまま語るのでなく、それ以前に起きていた読書の質の変化を語りました。注目したのは、意外やオイルショック後の80年代。ずいぶん古い。まだまだ書籍業界が活況だったときです。そのころ、人々にもっとも影響力のあったメディアは、インターネットではなく、テレビでした。
現代の生活に不可欠な地下資源の危機を克服した(と思い込んだ)人々は、「「これまでのあり方」を振りかえって、未来を検討する」ということをしなくなった」といいます。
その代わり、
「「その未来にはこうすればいい」という予言の書ーーつまり、分かりやすくてすぐに役に立つ「理論の書」を求めるようになったのです」

「消費者は王様だ」とまで言われた20世紀後半、右肩上がりの景気しか知らなかった出版界は「理論」をどんどん分かりやすくする方向に進みます。
「なぜそんなことをしたのか? わかりきっています。理論を売る出版社も、また「大衆相手の商売」だったからです。時は折しも、「活字離れ」が言われてしまうような時代です。ただでさえ本から離れそうになる「客」を引き寄せるために、「こんなに分かりやすいですよ。すぐ読めますよ。役に立ちますよ」というアピールをしました」
橋本はこう指摘します。
「書かれた文字をたどって行けば、すぐ「分かった!」の正解にたどりつける。それは、「理論のマニュアル化」であり、「本のファストフード化」です」
ファストフードに慣らされた読者は、もっと安価でわかりやすい味のファストフード(メディア)にすぐに食いつく。そういう嗜好を、意図せず出版は育てていくことになる。言いかえれば、「行間を読む」という読書体験における読者の「分担」を、放棄させてしまうことになりました。
橋本曰く、「本を読む上で一番重要なのが、この「行間を読むです」(中略)「書かれたこと」の間には「書かれていないこと」があるのです。その「書かれていないこと」が、読者が探り当てて考えるべき「自分の必要なこと」なのです」

橋本の『大不況には本を読む』(中公新書ラクレ)が出版されたのは、いまからちょうど10年前、2009年です。リーマンショック直後の不安感が重く、世界経済が今後どうなるか不透明な時期でした。
本書で橋本が、話題の主軸に据えたのは、じつは経済の話でした。産業革命、江戸時代、明治の近代化や戦後の高度成長期、日米通商交渉など、彼は場面ごと過去にたちかえり、世界と日本の「いまがある」理由を探します。
実際、タイトルどおりの「読書」の話など、10分の1にも満たないかもしれません。
で、最後のさいごに、本を読む意味に帰結していく。本書の構成が示すとおり、読書とは、知りたいこと、目的やさがす目印にたどりつくまで、かくも労力のいるものです。手間がかかる。金も時間も。こたえは遠く、実際、それは明確に示されません。
そりゃ、ファストフード化した情報のほうが、食いやすいわけです。

結果として、一冊に関わると、嫌でも立ちどまらざるをえません。でも、立ちどまることそのものが、読書体験だともいえます。
わたしはこの一冊を、三鷹の古書店で見つけて購入しました。あてもなく、棚を眺めていたら背表紙がふと目にとまりました。故人から、「やぁ、こんにちは」と声をかけられて、まさに立ちどまったわけです。で、「あれ、橋本さんじゃないですか」とあいさつし、しばし話を拝聴するにいたった次第。

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