戦争ごっこ
いともかんたんに、平穏は失われようとしています。
「戦争をしない」。この価値は、なにかの生産活動のためにあるのでない。不可視の平穏を逃さないためのロックが憲法九条です。戦争がはじまって初めて気づく最後の安全装置なのです。
武器輸出解禁も、ミサイル配備も、全土にシェルターをつくるというのも、スパイ防止法も全部、閣議決定でした。
立法府である国会は、うごかない。民主主義はすでに破壊されている。事実上の独裁がはじまっている。じきに、国の幹が倒壊するでしょう。そう、大切なものを失うときは一瞬です。
戦争してやろうじゃねえか。
こう啖呵を切ることができる。高市氏は、それが強い国だと思っている。武器弾薬をたくさん持っている。それが国防であり、抑止力だと思っている。そんなものは切りがない。バベルの塔です。稚拙なのです。
60代の男が、昨今の若者たちの考え方に憤っています。軟弱だと。
「これじゃ戦争もできやしない!」
70代の男が意を得たりとばかりに「おう、戦争なんかできやしない!」と呼応する。で、こう言うのです。
「どっかに、爆弾でも落とされなきゃ目が覚めないんだよ。北朝鮮に打ちこまれればいいんだ。平和ぼけなんだよ!」
陳腐な台詞まわし。いかにもの三文小話みたいだけど、そうでない。最近、ほんとうにわたしが目にした光景です。
石油はじめ、生活を維持する資源をまるで持たない。食料自給率ならば30パーセント(カロリーベース)の小国が、どうやって戦争をすることができるのでしょう。現に、もう物資の不足ははじまっている。戦争を決定した時点で、敗戦は確実です。戦争を煽るものは、為政者でろうといち市民であろうと、みな無能だと断言していい。己の手が届きそうな「経済効果」ぐらいしか実感できず、想像力が決定的に欠落しているから。こういう者たちを「平和ぼけ」というのです。
なん度でも言います。
廃虚で、破壊と殺戮と飢餓の負荷を、ぜんぶ背負わされるのは、社会でもっとも弱い者たちです。
威勢よく「戦争」を口にする者が、ほんとうに自分の町が攻撃目標になったとき、弱者をたすけるだろうか。社会の底辺をささえる命の綱を最後まで握ろうとするだろうか。きっと彼らは、まっさきに逃げだす。
戦争をはじめた為政者もまた、ぜったいにだれも救わない。
だって、そもそも戦争がなにかをわかっていないのだから。壮大な彼女の「戦争ごっこ」の淵に、わたしたちはいま連れていかれようとしてるのです。









