2019年1月20日 (日)

「現人神」の霊験

年があけてから、ひたすら古事記の翻訳をやっていました。
1月の7日から、のっぴきならない行事のために1週間だけは古事記をはなれたものの、あとは片時も関連の資料をめくらない日はありませんでした。まさに突貫工事です。
本日ようやく、約束のカ所まで訳し終えました。

依頼主からたのまれたのは、のちに天皇家の始祖・神武天皇になるカムヤマトイワレビコが、高千穂の地をはなれ、東に向かう(「神武東征」)ところまで。いわゆる「神話」の部分のみです。
じゃ、以降はなにかと問われると、いまに続く「天皇家の歴史」です。
言葉を変えると、ここからが「人」の物語となります。
それ以前は、「神」の物語なのです。

でも、古事記の記す系譜からしたら、神と人とを区切ることは、じつはできません。ただしくいえば、神武天皇だってれっきとした「神」です。
でも人と神を地続きにするのは、意図したほどは、現実世界に生きる人々に説得力を持ちえなかったでしょう。なんせ、生身の天皇がそこに存在するのですから。想像するに、編纂にあたった太安万侶の時代でさえも、そうだったでしょう。
「現人神」という矛盾した表現が、そのあいまいさをよく語っています。
古事記は、純然たる神話でもなく、庶民に語り継ぐバイブルでも寓話でもなく、天皇家が保持するかぎりにおいて近親の公家に対して意味をなす、三種の神器と同様の政治的な「道具」のひとつに過ぎなかったと思えます。

ところで、近代になってから、いきなり「現人神(あらひとがみ)」という表現が一般化されることになります。
この「現人神」は、わずか74年前まで、現代社会で通用しました。ひょっとしたらその言葉は、古事記の作者の認識をはるかに越えた力を持ったかもしれません。複製と伝播にすぐれたメディアの力が、国家と強力に結びつかなければ、これはできなかったでしょう。

明治国家は、近代化をしゃにむにおしすすめ、一方で古典に眠る「現人神」を再生して、かつての「現人神」以上の霊験をもたらすことに成功しました。その根拠をひっぱりだしたところは、ほかならぬ古事記です。
それを念頭にテキストを読み通してみると、正直「ひょうしぬけ」します。
この社会がなぜこの「神話」に呪縛され、いまもすすんで呪縛をうけているのか……とまどいを覚えずにおけないのです。
いったい、わたしたちは古事記になにを求めたかったのでしょう。

明日から、これまた突貫工事で、解釈や読みかたに疑問を残したカ所の検証にはいります。拠りどころにすると決めたのは、故・西郷信綱の『古事記注釈』(平凡社 全四巻)。
その綿密な仕事ぶりには、おどろかされます。

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2019年1月 4日 (金)

冬の陽射し

真冬に、生家で寝たのはいったいなん年ぶりのことでしょうか。
その家は、山の北斜面に張りついて、たいへん無理なことに、南を向いています。つまり、眼前が山肌。とうぜん日当たりは悪い。真冬だと、日が差すのが正午過ぎですーー
それだって、いつのことだったかと今回の帰省で気づいたのでした。
記憶のなかでは、まだか細かったはずの山の杉がすっかり成長し、正午を過ぎても陽がとどかなくなっていました。低い軌道でとおる太陽は、ついに山のうえにでられず、そのまま西の山に落ちてしまう。陽射しを感じたければ、眼下の集落の屋根を温める日だまりを、首をちじめて眺めるよりありません。
わたしがうっかりと生きている間に、時間はとうとうと流れていたのです。小さな家は、もう冬に飲みこまれんばかりになっていました。

一帯に点在する集落はどこも、南を峠にふさがれて東西に山が迫っている。場所によって一長一短ありますが、朝早くとどいた陽が正午にとだえるか、正午過ぎにやってきた陽が、数時間とどまるのかの差しかありません。そのなかでも、生家の条件はもっとも悪い部類でしょう。
室内は、まったく冷蔵庫です。
眺望は一方向のみ。善光寺方面の北西に向かって、谷すじに沿って這うたよりない道の尾を、生まれてから十八歳になるまで、毎日眺めていたことを思いだしました。
進学でこの家を去るとき、わたしは二度とここにもどらないと決めていました(それは、故父との関係によるのですが)。

大晦日の午後にバス停に迎えに出てきた母が、あまりに小さくなっていたことに、正直うろたえました。
時間はかたときも、とまっていなかったのです。そのことを、痛いばかりに感じたのは、ひょっとして初めてかも知れません。

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2019年1月 3日 (木)

年のはじめにーー

あけましておめでとうございます。三が日のうちに「茶房ちよちよ」、とりあえずのれんをあげるとします。一年をつうじて、よく働くことができますようにとの願いをこめて。

さて数日来、ことしをどう過ごすそうか考えてみましたが、どうしたことか目標らしきものが思い浮かびません。
こまりました。
これじゃ、気力のない人みたいです。
かりに自己啓発セミナーに出かけたとしたら、そうとうに低い評価をもらってしまうでしょう。

昨年、詩集をつくってみて気づいたことがありました。先ほど帰省したときに、顔を合わせた親族のだれ一人としてそれに触れなかったことです。
大手版元から読みものを出版したときはといえば、そうでなかった。だれかれが出版に関する情報を知っていて、評判やら自分の感想やら、本の内容やら、売れ行きなんかを、やかましいほどに必ず話題にしました。かんたんにいえば、他人の仕事といえども書籍出版は趣味や読む読まないを越えて、いっぱん的な興味の対象であるわけです。
でも、まちがっても詩集については「次の(出版)予定はいつだい?」「あれって、(読者の声は)どうだったの?」などとは、聞かない。
なかったこと、みたいにほうっておかれるのです。

とすれば、詩集は明らかに、ふつうの人々の関心の外にあるもので、もの書きにとっての「しごと」とは、だれからも認識されていないことになる。
なるほど、わからないではありません。
そんなこんなを考えていたら、詩っておもしろいなぁと、いまさらながら思えてきました。
こういうはなしは、(石川)啄木とやりたいものです。彼ならば、「まぁ酒でもーー」といいながら、『食うべき詩』のつづきを、大いに語りだす気がします。
あるいは(宮沢)賢治でもいい。「いい詩には、雪の結晶みたいに根拠を持った文様がある。ことばの最小単位だから。その価値ってのは、評判や市場では溶けちゃうんだ」とか、真面目な顔でつぶやくでしょうか。
(北村)透谷だったら、信仰とことばの隘路にはまり込み、収集がつかないかもしれません。

さてさて、古事記訳から手がはなれたら、もう手をいれなくていいのか、そうでないのかわからないまま散らばっている詩を、少しずつ見なおしていこうと思っています。いま、ばくぜんと考えているのは、そのぐらいです。

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2018年12月31日 (月)

切羽詰まる

切羽詰まって、年内にすませなければいけないこと、すませたかったことを、とりあえず裏紙に書きだしてみました。
ため息がでた。大小あわせて13項目。どうやっても、消化できそうにない。むしろ、ここまではできるだろうと、見越していたところまでも、手が届きそうもないと悟った次第。

きのう一日、年賀状を書くのと、「お詫びと訂正の栞」を無私で引きうけてくれたデザイナーさんに御礼の年越しそばを届けるのにつかい、今日は朝から柿の木とイチジクの木の剪定をして(柿は大きすぎて夏場、隣家のベランダにまで枝を茂らせる。で、木によじのぼって頭を詰める大仕事。イチジクは枝の棘にへきえき、でした)、仕事部屋と階段の大掃除をして、暗くなってターミナル駅まで年賀の買い物に出て、とうとう古事記訳の原稿にはまったく手がつかずじまい。
湯屋に行って、ことしを回顧しながらのんびりと夕刻を過ごす希望的計画も、あきらめました。暮れにじっくりと読もうと思った本も、開かないまま。
で、大晦日の明日は、老母のもとに帰省しないといけない。

なにをしたわけでもないのに、ことしほど時間が足りないと思ったことは、なかった気がします。
ためしに、わたくしごとの重大ニュースを回想してみると……

1 思いがけず詩集をつくることがきでた
2 やっと引っ越しをした(14年ぶり)
3  カワセミを見た
4 じっくりと古事記を読んだ
5 「はなしの会」のなりゆきで、初めて詩を朗読してみた

こんなていどかと、気がぬける。「ときがたつのがはやい」というのも、どうやら思い過ごしなのかなぁ(歳のせい)。

ともあれ、一年間「茶房ちよちよ」に足を運んでくださったみなさまに感謝いたします。開店休業がちの時期がたびたびあったことを、おわびいたします。
よいおとしを。

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2018年12月24日 (月)

つるべ落としのごとく


ことしが、もうどれほども残っていないことを知り愕然とする。
陽が昇るとともにぶちと散歩に出て、仕事場と階段を掃除し、急ぎの原稿を書き、ちょっとコーヒーをいれて、またぶちと川辺を歩く。と、もう陽が傾ぎだしています。暗くなるのは、あっという間。まさに、つるべ落としのごとく、です。


おなじ沿線の古書店に出かけようと思っていたけれども、陽が落ちるころに出かけるのは、気分がすすみません。予定を変更して、しばらくぶりで近所の銭湯に行きました。
小さな男の子を連れた若い父親がおりました。彼が息子の着替えやトイレの世話をするのを見ていたら、十数年まえの自分を思いだしました。
あのころは、銭湯と言えば、ふたりの息子は大喜びでついてきました。いまや
「ちょっとふろ屋にーー」
と言っても、だれも反応しません。
ときが経つのもまた、つるべ落としのごとく、です。


そういえば、クリスマスが近づくと、彼らになにをプレゼントしようか毎度思案しましたっけ。そういう悩みは、いま思えばなんと愉しかったことか。それから解放されるころには、ちかう人格を持つ彼らと親としてどうつきあうか、彼らの学費をどう工面するかという悩みを、天から授かりました。
遅くとも、(希望的観測ですが)あと5年のうちにはこの悩みからも解放されるでしょう。が、つぎは、残った親の看取りと、自分の後始末が待っていることは明らかです。
生まれ落ちてから、片時もやまなかった細胞の分裂がとまるのも、つるべ落としのごとく、です。

銭湯のかえりみち、ビールを一缶買いました。聖夜の肴は、豆菓子でいいかぁ。

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2018年12月16日 (日)

古事記と寄り道

いきなり寒くなりました。
あいかわらず、古事記の現代語訳ばかりやっています。「とりくむ」というよりは、鵺のようなものにがっしりと「つかまえられている」感じだぁ。
仕上がりはかなり遅れており、気持ちにゆとりができません。まぁ、引きうけた仕事だから、しかたないのだけど。

前にも書いたけど、いく人かの古事記の注釈をならべて読むのは、けっこうおもしろい。
もうひとつ、古事記を頭の片隅に置いた状態で、ほかの書を読むという経験は、まさに「いただいた希少な機会」ではないかと思うことがままあります。
思考が有機的につながっていくダイナミズムに、ちょっとクラクラきたりするのです。

『超越と実存』(南直哉 新潮社)
『経済学になにができるか』(猪木武徳 中公新書)
 という二冊には、深くはまりました。『超越と実存』の著者は、恐山菩提寺院代(住職代理)である曹洞宗僧侶。「ことば」による「実存」の理解のありよう、変転を仏教思想のパラダイムシフトを開きながら、コンパクトに綴った一冊。ここに古事記に起源を見いだせる日本固有の「ありまま」主義というフックが、あらわれるのです。
後者『経済学になにができるのか』は、どこにも古事記とリンクする部分はありません(そりゃ、そうだよね)。が、どこかに「ありのまま」主義を意識して、経済学が前提とする「自立した個人」という概念を思うとき、経済学の可能性の領域がゆるやかにひろがるのを感じるのです。

でね、合間あいまに、考えてできた道すじを補強するようにして『中国の古代文学』1(白川静 中央公論社)、『呪の思想』(白川静・梅原猛 平凡社)をぱらぱらとめくってみると、どこかに万葉集や古事記がひっかかってくる。白川学はわたしにとって、渾然となにかが詰まっている袋の隅をゆわえる「緒」のような存在。古代の文字と詩、社会について、大空のような世界が俄然、開けてきます。
こんなふうに寄り道ばかりしてるから、古事記訳はどうしても進みがわるいんでしょう。わかってはいるつもりです。
月曜日は、依頼主の担当者と会う予定になっております。遅延の説明を、いまから考えておかねばいけません。

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2018年12月10日 (月)

師走 古事記に埋もれる

はや師走です。
歳をとるほどに、1年が過ぎるのがはやくなっていきます。まるで自分がほうけたように日を過ごしてきたかのように、気づけば月日を飛びこえている。
残る人生の日々が、その分尽きているわけです。

さる企業からの依頼で、古事記の現代語訳にとりくんできました。
書きだすまでに時間がかかり、ようやく筆が動きだしたところ。漢字表記の原文を、仮名交じりの読みくだし文にあらためた資料をベースに、いくつかの現代語訳を読みくらべると、いかんせんカメの歩になってしまう。ストーリーは一緒ながら、どれもそれぞれ特徴があります。
削ったり、必要な解説を地の文にあらためたりしながら、「読める」古事記をつくる作業は、予想以上に難しい。

一般読者を想定した出版物をつくるわけでなく、古事記を題材に描いた画家の絵をDVDにおさめ、物語とともに提示するというのがこの企画の趣旨。
わたしの言葉による現代語訳をたのまれたとき、ひとつだけ条件を申しました。
「販売などで皇国史観を盲信する団体と密接な関係を持つことになるのであれば、お手伝いすることはできない」と。
古典訳に挑戦する以上の意味をこの仕事に付与することはできかねる、のです。

じつをいうと、この年になるまで古事記をていねいに読んだことはありませんでした。
意外なことですが、読んでみるとたいへんおもしろいのです。
古事記の物語そのものでなく、古事記がなぜこのような物語を採択したのかを、いやでも考える機会になったからです。
古事記とはなにか。では、神話とはなにか。神話は、原始社会においてどんな役割をもったのか。世界の神話と比較して、古事記の特異性とはなにか、などなど。「日本」のいまの姿を鑑み、発見することがなんと多いことか。
書きだすときりがないので、またこの仕事が片づいたときに、整頓してお伝えしたいと思っています(はっきり、お約束できるかどうかは微妙ですが)。
そんなわけで、とうに締め切りをこしてしまった古事記の世界にもどるとします。
とりいそぎ。

せわしいながらも、まわり道、より道すること、なまけること(これは染みついている)は忘れたくないものです。

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2018年11月25日 (日)

詩と朗読

先日、松本のカフェ「恋する虜」で「はなしの会」をやりました。人まえで話しをするのは、ずいぶん久しぶりのことです。特急「あずさ」のなかで、緊張半ば、なにを話そうかと考えたものの、すぐに眠りに落ちました。

朗読の会で、わたしの詩「おぎにり」を知ったという女性が、わざわざ甲府からお見えになった。
で、ひとしきり話しがすんだあとで「声にだして読むこと」が話題になりました。
卒論のために江戸後期の文献にあたっているという信州大学の男子学生が、そもそも当時の文章は声に出して読まれることを前提に書かれていたと、教えてくれる。
かつてニューヨークにいたという美術関係者の男性は、あちらでは書店などで朗読会がたびたび開かれていて、参加者がそれぞれ自分の作品を読みあげるのだと、教えてくれる。
白川静と梅原猛の対談集『呪の思想』(平凡社)にあった一節を思いだしました。
詩は古来、文字に書きおこされる以前は、楽士集団が演奏を伴い伝えてきたという白川静の説明に梅原は、こう応じていましたっけ。
「ところが詩が、歌うことを離れ、音読することを離れ、だんだん目で見るだけのものになってきた。現代詩の衰退は、そういうところにあると思っています」

現代日本語は、音読に適さないというやっかいなテーマに、思いがけず入り込んだわけです。
さて、このあたりは今回まったく準備の埒外でした。明治期に起こった文言一致の潮流により、しだいに音読に適した文語調は衰退してゆきました。その端境期に誕生した西洋詩の日本語版「新体詩」(自由詩の原型)は、まっさらなモダン文学でありながらも、文語をベースにしていました(漢文や和歌のルールを随所に採用)。
新興メディアの新聞や雑誌が、急速に話し言葉をテキストの基調とするようになるなか、遅れをとった詩も大正期には文語の岸を離れだします。つまり「散文」調になっていきます。
雑誌や新聞の優良コンテンツとなった大衆小説の書き手が、たちまち売れっ子になるのを、同時代の詩人たちはかたわらで見ているのです。大衆小説家たちは、多くの読者にアクセスできる口語の文体に工夫を凝らしました。いわば、「ポスト文語」のトップランナー。読書との距離を思えば詩も孤立をよしとして、いつまでも文語の語調にこだわるわけにはいくまい。そういう危機感は、もちろんあったでしょう。

生涯「詩論」の構築に精魂をかたむけた萩原朔太郎は、詩の音楽性をその大切な用件としながらも、それに不向きな現代日本語の壁にぶちあたります。
考えに考え、果敢に創作の実験をして、詩論に挑んだすえに、散文化を肯定します。が、無条件ではなく文体の「創造」という課題を課します。
「故に詩人諸君の成すべきことは、今日に於て詩を作るよりも、むしろ先ず散文を創造することになるかもしれない」(『詩の原理』第一書房 昭和3年)
彼の論は、こう続きます。
「そしてこの最後の見解から、初めて現詩壇の自由詩を肯定し得る。なぜならば今日の自由詩は、それ自ら一種の「新しき散文」であるからだ」
いま読みかえしても、朔太郎の思索はおもしろい。文語の岸へはもうもどれない。ならば、詩は「新しき散文」をつくらなければないという彼からの宿題は、いまだ詩をつくる一人ひとりに突きつけられています。

詩は、新聞や雑誌、テレビといったマスメディアには、根本的にのっかりにくい。というのも、大衆のニーズのために、創作することが難しい文芸だからです。読者を想定するところからは、まず出発できない。基本的には、自分自身のため、たったひとりのだれかために書かれるものです。
ただ、詩には人と人を媒介し、つどわせる不思議な魅力があります。詩があれば、場所と時間を共有できるのです。音を持つことが可能だからです。詩の強みである「ライブ」を放棄してしまったら、それは翼を持たないのとおなじです。
音読になじむ文体をどうつくるかーー
たんじゅんなことで、音読を試みることによって時間をかけて獲得していくよりありません。
で、思いのほか盛りあがった話の最後に『おぎにり』から、「りんごのたね」を読みました。

帰りの車中で考えました。
朗読の会をひらくには、一定数の参加者がいたほうがいいに決まっています。ならば、愉しいほうがいい。お茶に美味しい菓子は必須だなぁ。いっそ、カレーでもふるまうのはどうだろうか。聞くだけでもいいいし、参加者が詩を持ってくるのも自由だろうなぁ(酒もありか)。
特急電車が、諏訪を通過するあたりでまた眠りに落ちました。

おこしいただいたみなさま、あらためて感謝もうしあげます。

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2018年11月 8日 (木)

「恋する虜」でトーク

フォトグラファーの村田信一さんから、松本でカフェを開く計画をすすめていると聞かされたのは、1年半ほど前のことでした。すでに店舗にする古民家とは賃貸契約がなされており、あとはやるだけだと。
イベントスペースに人がつどい、ちいさいながらも一定の発信力、経済力をそなえた活気あるコミュニティーをつくれたらおもしろいね。
そんなはなしをした記憶があります。そのとき店名は、まだ決まってはいませんでした。

さてさて、そのカフェ「恋する虜」で、ささやかなはなしの会をやることにしました。
テーマは「なぜいま詩集なの?」。この6月に詩集を出版したとき、いくにんもの人から訊かれたことをそのまま、テーマにしました。
もっともそれは、わたしがわたし自身にいま問うておくべきことなのだと思いました。
わたしはなぜ詩をつくってきたのか。なぜいま詩集をつくったのか。

はなしの会は二部仕立てで、店主の村田さんとの対談を第二部とします。
こちらのテーマは「複数の目」。
人口が減り、右肩上がりの経済成長がとまり、富の二極化と社会の分断がすすむなかで、10年ほどずっとわたしが考えつづけてきたのが「複数の目」です。生活や仕事、学びにおいて複数の拠点を持つことが、自分を保ち、心地よく生きる重要な糧になろう、と。
それは、あれやこれやをやってみようという多趣味のすすめとはちがうのです。いざというときのために、あっちにもこっちにも足場を担保しておくというリスクヘッジともちがいます。
実際、現実とどう折り合いをつけて、その人なりに、どんなふうにして生活のグラウンドデザインを描くことができるのか。そんなことを、村田さんと話し合ってみたいと思います。

「恋する虜」(https://www.facebook.com/Un-Captif-Amoureux-134300470487511/)に出かけるのは、わたしも今回が初めて。きっとすてきなカフェでしょう。楽しみにしております。
連休初日は、あまり人の出が見込めないとのこと。松本界隈に知人がおりましたら、お知らせ、お声がけをお願いいたします。でもね、お客さんひとりでも、もちろんやりますよ。
23日(金)午後2時スタートです。お待ちしております。 Img_0906


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2018年11月 4日 (日)

このごろのこと


川べりを、いつものように走っているとき、ふいに足がとまりました。岸から川に突きだした一本の枝の先に、見たこともない鳥がいます。
ひょっとして、カワセミ……
小粒の体が、朝陽をはじいてコバルトブルーに輝いています。あまりにも鮮やかで、自然の創造物だとは思えない。さまになっている、のです。
水がきれいだからこの川にはカワセミがやってくると、いつもここでカメラを構えているおじさんから聞いたことがあったけど、自分の目で見るまでは半信半疑でした。数時間後、都心で会った知人に報告したら「いったいお前どこに住んでるんだよ」と、やっぱり疑いの色を隠しませんでした。
その日からたて続けに、同じ場所でカワセミを見かけるようになりました。3日目に、家族にある朗報がもたらされました。が、朗報はたちまち騒動の種となり、寝られない一夜をへて、いまはやや落ちつきました。
結局、朗報はプラマイ・ゼロとなったけど、わたしはカワセミを吉兆だと思うことにしました。
そんな説得力が、かのたたずまいにはあるのです。


10年来愛用していた手持ちのコーヒーミルを、うっかり落としてしまいました。
持ち手の部品が割れてしまって、つかえない。
知人の結婚式の引き出ものでした。あろうことか、そのふたりの仲も割れてしまったことを、とっさに思いだしました。そろそろ調停に一区切りがつきそうだと風のうわさに聞いていたころ。まさに「寿命」であったのかもしれない。
ほかの用事で浅草のかっぱ橋に出かけたいと思っていたときだったので、近所で買うのをやめました。通販もやめました。
が、当日所用が入ってしまい、いまもそのままです。タイミングを逸して、もう半年になろうとしています。
おなじ道具を家に連れてくるのに、すこし時間をおきましょう。モノの神がささやいている気もしないではない。


ボタニカルアートのパターンデザインを描くお隣さんが、家の前に机をだして2日だけ直販をします(年2回の恒例行事)。オリジナルのはがきや布、一筆箋などが並ぶと、ふだんはだれも通らない脇道に人がはいりこんできます。わざわざ遠くから来て、最寄り駅から10分以上も歩いてくる方もいます。
無人野菜売り場しかない一帯で、人の声がするのは希です。豆電球の明かりが灯るようで、すこしうれしい。
モノを介して人がつどう。人とお金の流れは、切りはなせないのだと思いました。人が流れると道ができ、町ができてゆく。「道」は方法なりパターンで、「町」はマーケットであり、ささやかな資本です。
利益があがらないことよりも、もっと好ましくないのは循環しないこと。
人が動かないかぎり風はおきないーーのだなぁ。
そんなことを考えつつ、松本にカフェを出したフォトグラファーの知人にメールの返信をしました。
「返信、滞ったままですみません。トークの件、出かけられそうな予定をお伝えますーー」
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