2018年7月 8日 (日)

このごろのこと


とうに忘れていた知人が電話をかけてきました。携帯の登録も削除していたので、声の主がだれかしばらくはだれかわかならい。
相手は、そんなことにかまわず、勝手にしゃべっている。まるでいつも、わたしたちがそうしているかのような、親しさで。
「すみませんが、いまから出かけないといけないんです」
「では、5分だけぼくに時間をください」
そうだった、彼が、精神の奥深い森に迷い込んでもうだいぶたつはずでした。
相手は、藪から棒に問いました。
「人間と動物のちがいについて、いますぐに思いつくことをすべて挙げてください」
言語を持つこと、着衣、火をつかうことなど5つほど挙げてみましたが、あとが続かない。
二足歩行と社会の形成、道具をつかうことは、「人間だけじゃありませんね」と、あえなく却下されました。貨幣をつかうこと(交換の概念)は、なるほどね、と相手に感心されました。
「まだ重要なことが、ぬけていますね」
「教えてくれませんかーー」
「これは、コマムラさんが自分で考えないと意味がないんです。明日また電話しますので、考えておいてください」
「………」
夜、ふいに浮かびました。
絵を描くなどの造形表現も人間固有のものだろうなぁ。彼が「ちょっとちがいますね」というか、「それを待ってましたよ」と言うかは、さっぱりわかりません。
とはいえ、それっきり電話は鳴っておりません。

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2018年7月 7日 (土)

このごろのこと

春過ぎから「ちよちよ」の休業が、増えました。べつに休んでいるつもりはないのだけれども、手が動かなくなっております。
もうしわけありません。

時間を行きつ、もどりつしている感じ。どこに行こうとしているのかが、ちょっとわかりません。どこに行きたいのかもわかりません。
自分に問うこと。それすらわずらわしくなってしまっていることに気づく。

ひとの気力の量は、生まれたときに決められているのだろうと、このごろ考えます。もうわたしは、それをつかい果たしたのかもしれません。

メールの返信に、ますます時間がかかるようになりました。
さいわい、質量のある本を読むことは、かろうじてできています。ただ、考え、文字に定着させるところには、向かわない。
ニュースは、視界の右から左にながれてしまう。興味らしきものが動かない。
塩梅とか加減という力が働かなくなった気がします。 Photo


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2018年6月21日 (木)

ヘビ

川沿いの歩道をいつものようにぶちと歩いているとき、ヘビに会いました。野生のヘビを眼にしたのは、ざっと20年ぶりぐらいのこと。
あいては、せまい道にゆうゆうと体を投げています。
かつては、玄関や縁側を開けっ放しにした家はめずらしくもなかった。子どものときですが、引出を開けたらヘビがいたということがありました。
祖母はそれを、平然と外につかみだしました。

明治40年生まれの祖母は、家屋敷のどこかには必ず白いヘビが住んいるのだと教えてくれました。白いヘビは、家の守り神の化身だとも。ともあれ、敷地まわりでヘビを見かけたら、白かろうが赤かろうが、絶対に殺しても、かまってもいけないと戒められました。
古い箪笥のうえに、マムシ酒の一升瓶があり、わたしはよく「標本」となったマムシの姿をまじまじと見つめました。
あるとき、ずっと気になっていたことを祖母に尋ねました。守り神をアルコール漬けにしてもいいのかと。祖母は、これは山のヘビだからかまわないのだと、おこたえになった。

ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』では、アウリンという重要なアイテム・首飾りが登場します。2匹のヘビが尾をかみあって楕円をつくっている、というのがそのデザイン(表紙まわりにも、これが箔押しされていますね)。
アウリンは、本のなかに存在する異世界と、少年バスチアンが住んでいた現実世界をつなぐキーです。

ヘビのうしろをついていったら、見も知らぬ世界に立っていたーー
太陽がぎらつく夏の日、少年だったわたしはヘビをみかけるたびに、そんなことを漠然と考えておりました。
ヘビは、どこかちがう世界からするりとこちらにはいりこみ、またあちらへもどってゆくことができる。いまだにそう思えてしかたない。

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2018年6月11日 (月)

どん底の月

駅から「忘れられた町」にもどるときは、決まってすこし憂鬱な気分になります。
丘のうえから、低地の川辺へ。けわしい段差で、双方は完全に分断されています。
果てに流されていくような気がしてしまう。
けれども、急坂をくだりきってどん底に入りこんでしまうと、奇妙に落ち着きもするのです。

引っ越してから、毎晩空を見るようになりました。こういうことは、前はありませんでした。
晴れていても曇っていても、寒くても暑くても、出窓から月をさがします。月がのぼっているときは、ふとんにもぐるまでの間、なん度か窓をあけます。前に見た位置よりもいくぶん西へ動いているのをたしかめ、わけもなく納得する。
どん底の空にも月はのぼるのだなぁ。

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2018年6月10日 (日)

体がうごかない

なぜだかここしばらく、体のなかから力がぬけてしまいました。
なぜなんだろうか。
なにかをやろうという気が、一向おこりません。考える気力もわきません。耳にするニュースにも、これという関心がわきません。怒りとか、悲しみとか、やりきれなさとか、そういった感情が動きません。
ただ他人ごとのように、突っ立ったまま現実世界を眺めている自分がいて、それをまた自分が眺めている。

きょうは銭湯にゆくと決めていたけれども、やっぱり体が動かなくなってしまいました。
雨がふってきたからーー
にちがいないのだけれども、それだけではありません。気力があるときは、雨が降るまえにさっさと腰をあげたはずです。

なにを書こうとしているのかもてんでわからないまま、ことばを散らかしてしまいました。あしからず。

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2018年5月29日 (火)

このごろのこと

まだ春がとおかった寒い朝のことを、急に思いだしました。
髪を振り乱した老婆が素足にサンダルをつっかけて
「おまえら、よく聞け。おまえたちが一度だって約束を守ったことがあるのか! 人間は信じられん」
と往来で叫んでいました。
さきをいそぐわたしの足が、勝手に動かなくなりました。
精神のバランスを崩したであろう老婆の狂態など、だれもが見て見ぬふりをしていました。みんな通勤や通学の途中で、かまってなどいられるはずもありません。
はたして、狂っているのは老婆なんだろうか。それともこちらなんだろうか。

きょうの夕暮れ、山手線にとびのったら、すぐ隣に立っていた男が、携帯電話にむかって
「ほんとうに、ほんとうにいいんだな! こっちはわかっているからな! 誕生日はもうやらないぞ!」
と、なんども何度も大きな声でくりかえしていました。乗客は、横目ですら男を見ない。だれもかかわりたくないのでしょう。
電話はどこにもつながっていないかもしれませんが、きっと男には通話相手が見えているんでしょう。
ふと、うらやましくなりました。
はたして、狂っているのは男なんだろうか。それともこちらなんだろうか。

わたしはどうして、川をわたれないんだろうか。
そもそもわたしはきっと、川向こうにいるはずの人間なのに。
と、思うことがあります。
道ばたで叫んだり、虚空にむかって延々としゃべりまくっている人にであうと、わたしはどこかにわたしを見つけてしまう。
多くのひとは平然と、背中の狂気を背負いつづけます。でもわたしは、重さにたえられなくって明日にもそれをほうりだしたい。死ぬまで背負っていることなんか、できるもんでしょうか。
そんなもの、人間の所業じゃないにきまっている。
すくなくとも、老婆も男もわたしよりは人間らしい。
はたして、狂っているのはあちらなんだろうか。こちらなんだろうか。

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2018年5月 6日 (日)

おぎにり

詩集『おぎにり』をつくってくださった未知谷の営業担当・オガワさん(若いさわやかな方です)と初めてお会いしたとき、彼はあいさつ変わりに、こんなはなしをなさった。
「(営業先の書店では)だいたいどこでも、タイトルについて尋ねられるんです。これって、「おにぎり」のまちがいじゃないですよねって」

ふざけたつもりはありませんが、言いまちがえを、そのままタイトルにしてしまいました。
ですからやっかいなことに、この本は言いまちがえを呼ぶのです。たとえば、献本先からの御礼メールやはがきには、9割以上の方が
「「おにぎり」拝受しました。ありがとうございます」
とお書きになってくる。
言いまちがえの元をこしらえた当人ですから、それが言いまちがえになってかえってくると、ついにんまりとしてしまう。へっへっへっーー

そもそも、どんな悲惨や悲劇を題材にしたとしても、いかに崇高なメッセージを込めたとしても、本質的に詩が「あそび」(と、わたしは考える)であることに、変わりはありません。
日本語はあまり韻律をつくるのが得意ではありませんが、それでもどうにかしてリズムを生みだすためにことばをひっくりかえしたり、とっかえたり。意味をうらがえしたり、あえて草むらにかくしてみたり。こういう行為のすべてが、あそびでなくてなんでしょうか。

さて、オガワさんとのはなしは、どうやって「古典」ではない現代詩を読者にとどけるか。どうしたら、詩を読んでくれる読者をつくることができるだろうか、といったことに終始しました。
あえて言いますと、ここでいう読者は、「詩を一緒に愉しむ仲間」のことです。一般書籍が想定する「読者」という概念を、詩にあてはめることはできない。おそらく、これまで一冊でも詩集を買ったことがある人って、さがすのが難しいほど少ないでしょ。いわゆる「読者」をさがすことは、霧をつかむような行為にならざるをえない。
でも、詩をつくったり読んだりすることが好きな仲間は、じつはたくさんいるはずなのです(と、わたしは信じる)。

とりあえず、規模は大きくなくともこだわりの書店(喫茶店や雑貨店、古道具屋さんなどでも、おもしろそうな人が集うところであればどこでもよし)があれば、まめに歩いてみましょうか、と。そんなことをふたりで確認しました。
みなさま、詩集『おぎにり』を気持ちよく取り扱ってくださる店にこころあたりがあれば、情報をくださいませ。買い取りはもちろん大歓迎ですが、返本可の取り引きもできます。

税込みで1620円、1000冊を準備しました。けっしてお安いとはいえませんが、表紙まわりに上品な和紙をあしらっており、つくりはおどろくほどていねです(そのかわり、強度はイマイチだと未知谷のイイジマさんが、笑っておっしゃった。投げたりたたいたりするもんじゃなから、いいんじゃないかな)。ちなみに、わたしはサイズの釣り合いがいいので、Goffsteinの絵本のとなりに置いています。自分で言ってしまいますが、悪くないですよ。

奥付によれば、発行は5月2日。幸運にも書店でみかけた方は、Twitterなどで教えてくださると、うれしい。「おぎにり」、すでにころがっているはずです。言いまちがえが、どんどこ連鎖しますように。
個人でご注文してくださる方はこちら、未知谷のウェブサイトへどうぞ(http://www.michitani.com/books/ISBN978-4-89642-549-9.html
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※ これっ、採用されなかった挿絵の一枚


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2018年4月30日 (月)

国のためにーー

たまたま顔見知りになった在日ロシア人男性は、わたしとほぼ同年です。彼が育った「素晴らしい国」であったソ連邦は、20代半ばに解体されました。
その彼がいま信奉するのは、プーチン大統領。クリミア併合もウクライナ東部への軍事介入・実効支配にも賞賛を惜しみません。外国に逃れた元情報員や国内のジャーナリストや反プーチン政治家らの暗殺疑惑などまるで意に介さない。すべては「アメリカの陰謀」でしかない。プーチンを熱烈に支援する理由を、彼はこう言いました。
「大統領はすべて国のためにやっています」
どうようの理由でもうひとり尊敬するリーダーを挙げるとすれば、それはスターリンをおいてほかにいないとも。語る表情は、自信に満ちています。プーチンの正義、ロシアの正義を、彼はまったく疑っていないのです。彼を満足させる正義。それが要求する犠牲への想像力は、微塵もなさそうです。

さて、この国のこと。
路上で野党代議士をののしった自衛隊中枢で働く隊員の行為を耳にしたとき、わたしははたとこのプーチン信者の男性の、印象的なものいいを思いだしました。有無をいわさぬ、自信といってもいい。
かの自衛隊員は代議士に
「国のために働け!」
と、声を張ったそうです。
このことばの前提には、「国のため」になっている自分と、「国のために」なっていない無用な政治家、という自明の認識があります。もっといえば、それは明らかな階層意識に根ざします。とうぜん、国防をになう崇高な自分たちの仕事に対し、後者のそれははるかに劣る。

「国のためにーー」
という言葉は、あらゆる一般常識を吹き飛ばします。個人の事情、考え方、多様性、宗教などなど。それが発せられた瞬間、たちどころに人間は明瞭な価値基準にしたがって選別されます。
その価値にしたがうならば、「国のために」ならない人間には、あらゆる社会的制裁も密告も拷問も暗殺だって肯定されることになる。理屈はいりません。国家に無用な人間は、クズなのですから。
それほど、インパクトのあることばだからこそ、それは感情的にも政治的にも公にも個人的にも、思想を異にする他者を攻撃する目的として、決して発せられてはならないのです。

「国のためにーー」と平然と言える人は、往々にして自国が「大国」であることに過大な誇りを持っています。とすれば、自国の意のままにならない国は、踏みつぶしてもかまわない「敵」です。
かつて「国のためにーー」が日本中を席巻していたころ、考え方を異にする人間は厳しく監視され狩られ、戦場となった隣国では凄惨な殺戮と収奪、蹂躙がくり広げられました。
「国のため」ですから、皇軍の行いのすべては正当化されました。

「国のためにーー」が公然と叫ばれる社会は、かなり病んでいるといっていい。法も常識も人情も理論も理性もすべてを超越する威圧を、そのことばははらんでいます。つまりその社会では、ことばがもう力を持てない状態にある。議論や対話などは、まるで意味をなさない。そこには寸分の寛容もありません。
最後は、自分とちがう他者を暴力で圧倒することに行き着くよりない。暗殺、クーデター、戦争が、正義のもとに決行されることになる。五・一五事件も二・二六事件も、血盟団事件も根にはきわめて単純な正義があります。
けれども、そもそも絶対的な正義などありようもないのです。醜悪なパワーゲームの旗印になっている高尚な正義なんて、どれも陳腐なものです。すこしの時間にさらされてみれば、じつに他愛ない欲望と虚栄心にほかならないとすぐにわかるはずです。

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2018年4月13日 (金)

かつてあった鳥の楽園

台地にある駅から線路に沿って西へ。クランク上の急坂を下ったところにあらわれる「忘れられた町」は、川の町です。
坂を下りきったところから、東方向の隣駅までの1.5キロほどの間に、3本の川が線路と十字にクロスする格好で流れています。わたしの家があるのは、一本目と二本目の川の間。
川幅は東へゆくほどひろくなります。三本は下流で合流しています。

引っ越してきて驚いたのは、のんびりとした水鳥の姿です(こんなのは、見たことがなかった)。
ことに川岸がコンクリートで固められていない二本目の川は、江戸のころとそうたたずまいが変わらないのではないかと思えるのどかさ。
草や木が萌える岸と歩道はちかく、しかも数カ所は親水エリアとしてつがっています。
だからすぐ近くで、カモが水面をすべり、サギが餌を漁り、鵜が勢いよく水に潜り込むさまを見学することができます。鳥たちがねらう魚のなかには、ホトケドジョウ、ジュズカケハゼトといったレッドデータブックに名を連ねるものもいます。
これほど澄んだ豊富な流れがあるのは、あたりが湧水地帯だからなのです。
家からほど近い遊水池のひとつは、大きな竹林ごと保存されています。その上流にあるもっとも水量の多い場所は、雑木林がそっくり残され東京都の水道局が一番大きな湧水点を取水のために管理しています。川のまわり、なかからも水はわきだしている。

もう何度も紹介した『逝きし世の面影』(渡辺京二著)に「風景とコスモス」という一章があります。来日した外国人を魅了した江戸は、彼らが欧州では見たこともない「庭園都市」でした。
「江戸には、大名屋敷に付随する庭園だけでも千を数え、そのうち六義園、後楽園クラスのものが三百あったという。それに旗本屋敷や寺社のそれを加えれば、江戸の庭園の数は数千にのぼっただろう」
ことにおもしろいのは、その江戸中心部と、郊外の山野との違和感ない連続性を、外国人たちが奇跡を見るかのようにしきりに記録していることです。つまり、農村部の緑もまた、野生そのもののではない人の手がはいった端正な美しさであったわけです。

水と緑で潤う都市とその近郊が鳥の楽園であったといわれても、いまや想像するのもむずかしい。
江戸十四里四方では狩猟が禁じられていため、鳥は人が近寄っても慌てることがなかったようです。
リュードルフには「鳥という鳥がみなよく人になれている」かのように見えました。ツェンペリは、乱獲がないため「しばしば信じがたいほどの大群がいる」と語っています。
江戸近郊ではありませんが、1863(文久3)年平戸から瀬戸内にはいったアンベールの記述はこうです。
「日本群島のもっとも特色ある風景の一つは、莫大な数の鳥類で、鳴声や羽ば摶きで騒ぎ立てている」
日本全土の城下と郊外が、やはり江戸のそれと似た色調であったのでしょう。

わたしは毎朝ぶちと川辺を歩きます。
都心のターミナル駅から約20キロ弱、5里の距離ですから、この水辺もかつては鳥の楽園だったはずです。
と……ひっくり返せば、「忘れられた町」にぽつねんと残る水辺と緑は、明治の世が否定したなにかだともいえまいか。
江戸城のお堀はじめ町々の堀など、江戸の町をつくっていた水辺は次々に埋め立てられました。水路と自然は都市から放逐され、「信じがたいほどの大群」の鳥も去っていきました。Nipponia Nipponの学名がついたトキなどは、あっという間に激減し、ついには滅んでしまいました。ついでにいえば、オオカミもカワウソも、おなじ時期に追い詰められた。
きっとトキもオオカミもカワウソも、滅んだひとつの文明の象徴なのでしょう。
明治維新とはなんだったのか。
維新を彩る志士の英雄譚はあくまでも政治闘争であり、その窓をどんなにのぞけど、失われた水辺と庭園都市にあった豊かな文明の風景は一向に見えてきません。近代の背を猛烈に追いかけた明治は、「成長」と「消費」のスイッチを押しました。暮らしの価値は、またたくまに一変しました。もう水音も鳥の鳴き声も、無駄なものでしかなかったわけです。

ちかごろ、あんなにわからなかった辻潤が近くに感じられることがあります。江戸の大店・札差の風雅を吸って育った彼の奇矯は、語れるような滑稽でなく、もっと本質的な反逆ではなかったか。それは、切ないほど絶望的で優雅なものではなかったか。
ちなみに、辻潤の肩には小鳥がとまったといわれます。彼はときどき鳥と話したらしい。わたしはきっと、本当であろうなと思うのです。

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2018年4月 8日 (日)

「わすれられた町」あるいは「どん底」

引っ越して、まる2カ月になろうとしています。
こんどの家から、1キロさきの駅に出るには、長い急坂をのぼらなければなりません。あたりまえだけども、駅から家にもどるには、急坂をくだることになるわけです。わたしの足で、ほぼ10分の道のりです。

台地にのっかった駅から、線路に沿って西へむかうこと7分、いきなりその坂はあらわれます。急坂の真下には、老夫婦がいとなむ小さな中華料理屋のガラス玄関。ちょっとこれは奇妙な風景です。坂は中華料理屋につきあたって右に折れ曲がり、すぐ左に折れる。勾配が急なうえ、クランクがまたきつい。「自転車 スピード注意」の立て看板が立つわけです。
のぼる人たちはといえば、そう、たいてい自転車を押すことになる(わたしは、意地でも乗ったままいくが)。

みとおしがきかない坂は、坂のうえと坂のしたを、いやがおうにも分断します。
つまり「町」は、そこでとだえる。坂上の三丁目と坂下の一丁目は、道こそあれど、町としてつながってはいません。
三丁目は、整然と区画されています。駅北口の商業地を囲み、隙間なく落ちついた住宅がならぶ。
対する一丁目には、まず直線の道がありません。舗装道路はつぎはぎだらけ。行き止まりが多く、ところによって突きあたっては曲がり、わたしの家周辺は迷路のよう。さらに道は、もとの地形そのままに緩く波打っている。でもって、じゃりっぱげのように、大きな畑地が転々と残る。

想像するに、地主が農地を少しずつ宅地転用しては切り売りしたため、不規則なサイズの布をはりあわせたパッチワークのような町になってしまったらしい。区画は、どこも不格好です。
駅からそう遠くなく、もっと気が利いた町ができていいはずだけど、なぜかいまにいたるまで行政による計画的な開発の手が、はいりませんでした。町作りの地図から、みごとにこぼれ落ちてしまったのです。

ひとつ隣の駅とのちょうど中間点にありながら、車両も人もめったにここを通りません。人相でいえば、ぽかんと口をあけたような、間抜けたかんじです。坂をくだりきってしまえば、飲食店はおろか、スーパーもコンビニも、そして自販機すらないのも当然といえば当然でしょう。
代わりに、というわけでもないんでしょうが、家のすぐ裏手に、「おいしいよ」の幟を立てた無人野菜売り場があり、のぞくとなにかしら旬の野菜が平台にのっています。ホウレンソウやラディッシュ、カブ、菜の花、ニンジンなどなど。
坂を隔てたこの落差に、正直、わたしはいまだとまどいをおぼえています。毎日、おなじ道をあるくのに、毎日、おなじようにとまどう。
なんだか調子が狂うのです。

去年の夏だったか、道に迷いながら物件の案内をしてくれた不動産屋さんは、なぜだか、こののどかな環境をわたしが高く評価していると勘違いしたらしい。こう言っていましたっけ。
「住民以外の車はまずはいってきませんし、夜なんかもの音もしません。そりゃこの立地ですからね、前から、道路計画はあるんですよ。でも一向に動く気配はないですね。少なくともあと10年は絶対に着工しませんね。いや、ずっとダメかも。安心してくださいよ」
店ひとつない環境が、正直、ありがたいわけがない。生活の利便は、最重要条件です。
もっとも、家族の頭数とぶちというやっかいを抱え、予算と立地(都心のターミナル駅から最寄り駅までの距離と、駅から家までの距離)、引っ越し可能なタイミングをすりあわせると、わたしの選択肢もそう多くはない……

坂をくだりきったところに、線路とクロスして小さな川がはしっています。橋のたもとにポストが立っています。わたしはこれを、「あちら」と、まだ妖怪がいるかもしれない「こちら」の世界をつなぐ窓口「妖怪ポスト」と名づけました(ポストまでは家から2分ほど)。
で、それとなく自分の住む一帯を「わすれられた町」と呼ぶようになりました。
ただ、つめたい風がつよく吹く夜などは、「わすれられた町」にもどるのは妙にさみしい気がして、ひらきなおってそこを「どん底」と、自虐的に呼ばわります。 Img_0184
さって、どん底に帰るかーーといった調子。

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