2025年3月17日 (月)

そろそろ

疲労がたまったかもしれない。
思考の回路がめぐりにくくなっているのがわかります。
もうひと月以上も、原稿のおなじ章のなかを行ったり来たりしている。さきにすすめない、どうしても。
こういうときにかぎって、いろいろなことが立てこんで、身うごきがとれなかったりもするわけです。

一冊の読みものをつくろうと思うと、あまりテンポよくすすまない、あるいはこれという読みどころがないところにかならず突きあたります(まるまる1章分、あるいは2章分がそう)。
ならば抜いてしまえばいい——
のだけど、そうはいかなったりする。全体の深みや奥ゆきをつくるには、どうしてもそれが必要なのです。背景や前提、水脈を丹念に描くことをしておかないと、話は肝心なところでダイナミックにうごきださないのです。

そういう章は、だいたいにおいて複雑な事象がからみあい展開に乏しい。しかもテーマの本題ではなくサイドの部分です。
そんな話のよどみを、いかに読ませるか。そこに根気よく手をかけるかどうか。一冊を生かすも殺すもこれにかかっている。と、思う。

数日かけても、半歩、または一歩ぐらいしかすすまない。おおきく後退してしまうこともある。書いている自分自身がぜんぜんおもしろいと思えない。それでも、そこにずっと手をかけている。
ところが、このよどみが流れだすと、自分自身がわかっていなかったことに、気づかされたりもするのです。
そういうことか——
となにかが腑に落ちたり、思いもしなかった仮説が浮かんできたり。
そろそろ、そんなところに差しかかるだろうか。毎日、そんなことを思ってはいるのですけど。そろそろが見えない。

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2025年3月 4日 (火)

雪の夜

雪がこんこんと降る夜は、なぜか酒が飲みたくなる。
さっさと寝て明日にそなえるつもりでしたが、湯をあたためて焼酎をひとりやりました。
で、ときおり窓をすこし開けて、空を見る。

ここに引っ越してきたのは、大雪の翌日でした。家のまえの道路は、溶けずに凍った雪によろわれている。寒波で給湯器は破裂していました。荷物をなんとか引っ越し屋のトラックに積み終えてから、電車に揺られ、ぶちと震えながら駅からの道を歩いてきたことを思いだします。あたりの畑はまっしろ。寒々とした景色でした。
たいへんなところにきたもんだ。
そんなふうに思いました。
いつだったか大雪の日、ふたりで留守番をしたこともありました。ぶちは朝から、外にでようとしない。一日部屋にこもって昼から一緒に毛布にくるまり、ときおりコーヒーを淹れては窓の外を眺めたっけ。
雪はなんでもすいこんでしまう。もの音も、深い夜の闇も、しまってた記憶も。ただ静けさだけが、ここにいるのです。

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2025年3月 2日 (日)

『春と修羅』のこと

朝から、部屋にこもって確定申告(e-tax)の書類作成。一年経つと、まえの年にやったことを、きれいに忘れてしまっている。
昨年までは、経費帳やら前年の申告書類一式を抱えて、税務署に足を運んでおりました。大混雑のなか、順番を待って空いたPCまえで作業していました。それでも、待機する係員の助言が得られる恩恵は、なににも変えがたいのです。
とうとうことしは、ひとりでやると腹を決めました。作業画面の保存で迷子になり(保存データがこのMacPCで開けない)、途中、挫折しそうになりました。が、新しくコーヒーを淹れて気を落ち着けてから、またいちからやりなおしました。
税務署への送信を終えると、はや正午でした。やりとげた感はおおきい。
ひとつ、肩の荷が降りました。

『春と修羅』、『注文の多い料理店』の復刻版を、古書店で手に入れました。宮澤賢治が自分の手で生前につくったのはこの2冊のみ。
使用した紙ごと忠実に復刻されていました。サイズも重さも、紙をめくる感じも、かつてのそれに近いはずです。
開いてしっくりくるのは、それが、いまのわたしと彼の距離感だからかもしれない。テクストは一字一句おなじでも、全集や文庫本だとこんな気分にはならないのです。
気づいたことがひとつ。賢治は、自分の姓を『春と修羅』では「宮沢」とし、一方『注文の多い料理店』では「宮澤」としていました。でも、いずれも奥付けの著者名は「宮澤」でした。
なにか意味があったのか、なかったのか——
当人に訊いてみたい。
ところで、この2冊の出版は1924(大正13)年の4月と12月。没年が1933(昭和8)年だから、以降二度と書籍をつくることがなかったということ。9年のあいだに、構想はあったかもしれないけども。
知られているように『春と修羅』は自費出版。完成後、印刷した文字のうえからなおも手を入れた書籍が残っています。活字を読んで、はじめて気づくことってあるんだよね、きっと。奥付けにある値段は、2円40銭。三越食堂のコーヒーが10銭、和定食が80銭。金をだして買ってくれたひとは、どのくらいいただろうか。つくった1,000冊は、たぶん残ったかもしれない……

疲れてしまい、きょうはついに原稿作業をまったくしませんでした。
こういう日もあろう。
西の湯屋に行きました。ようやくこちらの勝手がわかってきて、つくろげるようになってきた。

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2025年2月24日 (月)

このごろのこと

目覚めると、もう明るい。日の出が早くなったのです。
執筆の作業をはじました
昼過ぎに手を休める。
台所におりたついでに、米をといでおく。山芋もたくさん磨りました。で、お出汁といっしょに、すりこ木をゴリゴリとやる。
ついでに大根を下ゆでして、冷蔵庫にあった厚揚げ、がんもどきと一緒にお出汁とゆっくり煮つける。40分もあれば、充分です。
夕方、日が落ちるまえに駅近くのスーパーに行きました。
空気は冷んやりしているけど、かたむいた陽の色に春の温かみがほんのり見えました。
このひかりを、ぶちにも見せてやりたかったな……

スーパーで買ったのは、ニラとキャベツ。
夜、知人からいただいた冷凍のもつ煮を、鍋にかけるためです。田川のもつ煮は、おとなりの博多もつ鍋とはまるでちがう。ごった入りのもつを、ニンニクたっぷりの濃い味噌タレで煮込むのです。あまりにタレが濃厚だから、わたしはこれに木綿豆腐をごろりと入れてしまう。
そんなわけで、よゆうをもって夕飯の準備をしてしまった。こういう日は、めったにないのです。たいへん貴重です。
湯屋にはあえていかず、部屋で陽がしずむのを待つことにしました。焼酎のお湯割りにしました。

原稿の見なおしは、ようやく第7章にはいりました。ここは少し時間がかかりそうです。

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2025年2月23日 (日)

このごろのこと

風が冷たい。スーツを着るのはいつ以来か。ネクタイをして、マフラーをまいて外に出ました。
久しぶりに浅草です。
JR上野駅で銀座線に乗り換え。銀座線は、いまでは考えられないほど地下の浅いところをはしっています。天井もたかくない。
この上野〜浅草間、2.2キロの開通は昭和2(1927)年でした。日本初の地下路線の出現は、画期的だったはずです。新橋までつながるのはその5年後、昭和7(1942)年です。
隅田川付近の水路沿いに発展した江戸の繁華街は、鉄路とともに東京市の内陸に移っていくことになります。
銀座線の車内はせまい。そこに、海外からの観光客が大勢乗りますからいっぱいいっぱいです。田原町で降りて国際通りへ。こちらも歩道は観光客でふさがっている。
腹が減っていて、パーティーのまえになにか食べようかと思ったけど、席に余裕のありそうな店は大通り沿いには見つかりませんでした。うかつでした。

自転車で西へ10分ほどの住宅街に、煙突があるのはずっと知っていました。その湯屋に出かけるのは、これで2度目です。
いまの家は、ちょうど駅と駅の中間。どっちに出るのもさほど変わらないけど、急行、快速が停車する東の駅のほうが断然つかいやすい。街もおおきい。
そんなわけで、引っ越して5年になりますが、西の駅周辺に出かけることはとんとなかったのです。
初めて暖簾をくぐったとき(先週の日曜日)は、こわごわでしたが、おおよその事情はわかりました。
支払い時にロッカーの鍵をもらいます。ロッカーはちいさめ。おおきな湯船がひとつ。湯は熱め。せまいが、サウナは無料。壁絵は富士山でなくて、太陽と(たぶん)鳳凰。体重計は、針が振れる昔ながらの体重計とデジタルの2種がアリ。ソファのあるロビーはゆっくり。いまも通う東の湯屋にくらべ、のんびりしています。大混雑することもなさそう。
ときどき寄ることになりそうです。
ただ、帰りに買って帰るうまい焼き鳥の店が、こちらの町にはない(たぶん)。課題です。

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2025年2月16日 (日)

このごろのこと

自国ファースト
とニュースが申しておりました。大統領令を次々とだすトランプ政権のこと。もはやアメリカは、国民国家ではなく株式会社のよう。
投資と回収、購入と販売とによる収支バランスによって安全保障政策すらうごく。なんでも「買う」と口にしてみて、相手の反応をみたうえで、ビジネス交渉がはじまるわけです。
そのトランプが、ウクライナ停戦を主導することになりそうな雲行きです。閣僚は、ロシアが占領した地域はウクライナにもどらないと公言する。「和平」やら「停戦」の実情は、侵攻されたウクライナ側に領土の放棄をせまるに過ぎない。おそらく、ある種のビジネス交渉になるのでしょう。
ゆき詰まり、軌道修正をせまられた資本主義が、公然といなおったー
それがいま眼前の世界です。すでに狂信的フェーズに突入している。
そして一方の交渉相手、ロシアのプーチンが嬉々としてビジネスの開始を待ちうけています。彼がはじめた愚かで凄惨な戦争は、ここにいたりビジネスマインドのゲームになろうとしています。ゲームボードには、司法も道徳もない。狂気と正気の境は、もはや溶けています。

書きあげた原稿を推敲する作業は、2度、3度にわたります。
2度目の推敲は、おにぎりをつくるのに似ています。
適量の米を手にとるのが、まず最初のしごと。過剰な描写や説明を、大胆に切ってしまうのです。
それから、米の整形にかかる。うまくいくときばかりでもない。どうやっても、ばらけてしまうことも、よくある。
そういうときは、そもそもの水加減か火加減をまちがえている。まとまりっこないのです。構成と、資料をもういちどたどりなおし、なにがいけなかったか考えなおす。ほかに、まえにすすむ手だてがないことは経験で知ったこと。
ようするに、方向の誤りを認めるのです。
きょうは、そういう日でした。足踏み状態です。

日が暮れるまえに、湯屋に行きました。閉店したもうひとつの湯屋の常連だった顔が、ひい、ふう、みい、よう。これまで、こっちで見なかったひとたちです。
湯船で考えます。第5章はなんとか数日中に片づきそう。つづく6章、7章は難航するだろうなぁ。ここを越えられたら、少し歩く速度があがるだろう。3度めの見直し作業に入れるのは、たぶん3月中旬ごろか……

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2025年2月 9日 (日)

無心で

ある言葉が、辞書に採録されたかされなかったかを知りたくて戦前の『広辞林』を購入してみました。いわずとしれた三省堂の定番商品。昭和14年9月発行の新訂版、560刷り。売れたんですね。戦前のもっともポピュラーな国語辞書です。
先日岩波書店で見せていただいた博文館の『辞苑』はといえば、昭和11年発行の第110版。いずれにもさがす語はありませんでした。費やした時間と金は、無駄になりました。書籍を書くことは、無駄の積み重ねなのです。
こういうことは、よくある。よくありすぎて、作業が長期化するうちには無駄という感覚すら麻痺してくる。

たまたま双方に目をとおすことになったのだけど、比べてみると『辞苑』のクオリティーがきわだつ(『広辞林』が粗雑だというわけではまったくないですよ)。
編者の新村出の仕事には、正直おどろかされました。言葉の収集や概念の言語化にとどまらず、一冊まるごとへの心遣いが行きとどいているのです。
いい仕事をみると、いい仕事がしたくなるものです。
あぁ、いいなあとしみじみ思えるものは、いいものができるきっかけになる。そこには、利益や評価といった実利的な計算は介在しないのです。
俳句や短歌、詩の愉しいところは、そもそもその回路につうじていないこと。だから、おもしろい句やうたに出会すと、しばらく無心で読んでしまう。いずれも遊びや暮らしの延長に過ぎない創作行為だからだと思う。

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2025年2月 2日 (日)

このごろのこと

節分。旧正月、か。
窓のそと、夜明けまえから冷たい雨の音がするのです。夜ふかしをしたわけでもないのに、大寝ぼうして7時に目を覚ましました。ふとんにもどるか迷ったあげく、コーヒーを淹れて机のまえにすわりました。
寒すぎて、なにかする気がおきない。とりあずと思っていたら、いつのまにか3杯目に。
原稿に手をいれはじめる。熟読できなかった資料を、あらためてめくり返す。そんなことをしていたら、日が落ちてしまいました。
一歩も外に出ていない。
さて、豆をまこうとも思わない。

わたしの名刺は素っ気ない。名前と住所、携帯番号、メールアドレスがちいさくあるだけ。余白だらけ。
「肩書き、ないけどぉ。これでいいの?」
友人に指摘されたことがあります。
「よく表面を触ってみて。それ、活版印刷なんだけど」
と伝えたら
「なにか、意味ある?」
と怪訝な顔をされました。
その名刺を、いつも持ち歩かない。なにかの考えがあるわけではありません。
差しだすことがめったにないものですから。
先日、『広辞苑』初版と、その前身である『辞苑』(こちらの版元は博文館)を見せていただくために、岩波書店をお訪ねしたのですが、神保町に着いてから気づきました。
あっ、名刺を持っていない
対応してくださった辞典編集部の方の名刺をいただくときは、やはり気まずいもんです。先方の時間をちょうだいし、手間をかけるのですから。そういえば、前回、所用でたち寄ったときも、思いがけず担当でない編集の方もお見えになって恐縮しつつ名刺をいただいのでした。
これはよくない、と思いなおしました(だいぶ遅いけど)。
帰ってから、さっそくかばんのなかのポケットに名刺ケースをしのばせました。とりあえず持っておく。ただ、かばんを変えたときときに忘れる危険はおおいにあるけど。

blue skyのフォロワーが、5人に達しました。ちょっと格好がついた感じ。とりあえず報告いたします。

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2025年1月26日 (日)

このごろのこと

朝から、切るような風が吹いていました。
エアコンの効いた部屋にいたけども、陽がかたむくと寒さがこたえてきました。原稿に手を入れていたら、湯屋にいくタイミングを逸しました。
どこで終えるかの踏ん切りがつかないのです。書籍原稿の終盤はいつもそうなのですが。
当初の構成はもうさほど意味がなく、気がすむまでやってみるしかない。そのうちどこかで
もういいかーー
となるはずです。

生を終えるときも、そうなのかもしれない
と、ふと思いました。

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2025年1月19日 (日)

このごろのこと

重機がはいると、そこの風景は一変します。ひろい畑があれよという間につぶれ、黒い土が掘り返され、もうそこが畑であったとはわからない。ちょっとまえの記憶すら、あいまいになっている。
工事現場の看板によれば、17軒の住宅が建つそうです。
引っ越してきたときに東にあった、もうひとつのひろい畑はすでにありません。駐車場つきの低層アパート2棟がならんでいます。高齢のおばあさんがいたはずの3軒となりも、気がつけば更地に。
なにもかもが、あっという間なのです。

日暮れまえ、とおり雨がきたのですが、すぐにやみました。よかったとばかりに自転車で外に出ると、また急に降りだしました。湯屋についたときは、だいぶ濡れてしまった。
いつもの親子がおりました。老齢のおとうさんと息子さん。障碍を抱いて生まれてきたらしいおおきな息子さんの体を、おとうさんはていねいに洗う。背中も流す。せまい家の風呂場では、こうはいくまい。
ひとしきり世話を焼いて、やっと風呂につかってひと息ついているおとうさんの背を、みるともなく見る。
この湯屋は、あと10日で営業を終えてしまいます。

イーロン・マスク氏の買収以降、X(旧Twitter)があきらかに様相を変えました。タイムラインが、グロテスクな言説、画像で満ちている。
ドイツ、オーストリアの60を越える大学、研究機関がXの利用を中止するという共同声明をだしました。「アルゴリズムによる右派ポピュリスト的コンテンツの増幅や自由に届けられるコンテンツの制限」(朝日新聞デジタル)がその理由。「多様性、自由、科学を促進する価値観は、もはやこのプラットフォームには存在しない」と判断したわけです。「オーナーの世界観に沿ったコンテンツが好まれるように操作されている」Xを見切ったユーザーは、ほかにパリ市、スペインの学長会議(70以上の大学で構成)、ドイツ国防省やブランデンブルク州議会、アップル、ディズニーなどなどなど。
しばらく考えておりましたが、SNSと一切関わらないという選択肢は、今回は退けました。

とすれば、まっさきに浮かぶのは「Facebook」、「Instagram」への乗りかえ。考えなくもなかったのですが、なぜか気乗りしませんでした。本日、新しいSNSプラットフォームである「Bluesky」に、アカウント(@kichie285.bsky.social)をもうけてみました。まったくの手さぐりです。フォロワーはおりません。妙に気持ちよくもあります。
Xのアカウントをどうするかは、おいおい考えるとします。

 

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