2018年2月 6日 (火)

このごろのこと

わけあって早朝の5時起きが一週間続き、ようやく落ちつきました。
で、こんどは引っ越しの準備が佳境です。
あと4日しかないのに、峠の上りはまだまだつづきそう。もとより、あなどってはいませんでしたが、やっぱり手強い。
ことに、昔つかった書籍とコピー資料を思いきって整理したいと思っていましたが、手放すべきかどうか、ふんぎりがつきません。希少な資料だけを残し、いつでも手にはいる書籍は古書店にだそうと決めたはいいのですが、そんなにきれいに線を引けない。

古いコピー資料をめくっていたら、かつて頻繁に仕事をしていた月刊誌の編集者からのメモが出てきました。進行中の仕事が終わったら、すぐに次の企画にかかりましょう。関心あるテーマがあれば教えてほしいといった内容でした。
懐かしいというよりも、他人を観ているような気分になりました。締め切りに追われていたころの自分の姿が、やけにぼんやりとしているのです。
おなじように、あのころの自分も、きっといまの自分を想像できなかったでしょう。
思えば、当時のわたしは「成長至上主義者」でした。大手版元の出版物で名前を売ってなんぼ、担当編集者の評価がすべてでした。表現と思想について深く省みることもないから、おのれの非力をわかっていない。
この5年ほど、どっぷりつかってきた商業出版と距離をとってみて、はじめて自分が砂粒以下の者で、無辺を疑わなかった沃野が、ちいさな痩せた村でしかなかったことに気がつきました。
生命にも、ひとつの産業にも企業にも社会構造にも必ずや寿命があると知ったのも、きっとごく最近です。急激に成長を遂げたものは、また衰亡の速度もはやい。

さて、あとしばらくひたすら物の選別と荷造りです。

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2018年1月27日 (土)

『希望のかなた』

〈シネマ手帖〉No47

ある深夜、ひとりのシリア難民の青年が、貨物船の砂利山にひそんでヘルシンキ(フィンランド)の港に降り立ちました。
空爆で郷里アレッポを破壊され婚約者も家族もうしなった彼・カーリドは、東欧の国境でわかれた妹をさがすため、まずは自分の身をなんとかしないといけない。
でも、空爆や侵略戦争がないヘルシンキとて、カーリドには安全地帯ではありませんでした。深夜の街を徘徊する過激右翼グループによる外国人狩りの標的となる。難民認定の壁は厚く、たちまち強制送還者の側にふりわけられてしまう。街にまぎれこんでも、警察の取り締まりはきびしい。 Slide_photo03
そういうカーリドと、人生に行き詰まって再起にかける老経営者ヴィクストロムが偶然に出会います。合法、非合法双方の策を動員して、ヴィクストロムは彼に、生きる場所をこしらえようとします。

北欧の港町でカーリドにさしのべられるいくつかの無償の手を、大きな問題意識に支えられた「社会正義」としなかったところに、監督カウリスマキの重要な立脚点がある気がします。難民収容所を脱走した、いわば犯罪者であるカーリドを雇い入れるヴィクストロムにとっては、カーリドもまた、再建をはかるレストランのスタッフのひとりです。すこしの資本と人脈を振り向けてその小さな労働力をいかすことは、経営者の合理的思考といち市民の生活感覚の折衷による、普通の選択肢にすぎない(少なくともその程度の重みに描かれる)。
誤解をおそれずにいえば、レストランのスタッフたちに拾われて保護された犬・コイスティネンとカーリドへの対応には、大差はありません。できることを、だれかができる範囲でとりあえずやってみる。カウリスマキ監督は、難民問題を徹底してしごく平凡な街の風景に落としこむのです。 Slide_photo02
だからこそ、演出はどこまでもコミカルです。表情や感情の細部を時間をかけて描くのではなく、もったいぶらずに話を転がしてゆく。
フィンランドのベテランミュージシャンが、酒場や街角に登場し、随所で渋い低音を響かせている。「いまおきている重大なこと」を軽快に語ってみせるのが、カウリスマキ映画の神髄だといっていいでしょう。

(監督:アキ・カウリスマキ 出演:シェルワン・ハジ、サカリ・クオスマネン 2017年 フィンランド 98分 第67回ベルリン国際映画祭コペティション部門で上映 ユーロスペース他http://kibou-film.com/

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2018年1月20日 (土)

このごろのこと

大寒なり。
急に悪寒におそわれ、昨日の帰宅後に体温を計ってみたらなんと38.6度。一夜明けて近所の医院にでかけたらインフルエンザB型でした。
ここ数年、免疫力が弱っているのは疑いないでしょう。冬場に風邪をひくと、ひどい咳が1カ月以上も続くようになったのも、ここ5年ほどのこと。どんな薬を処方してもらっても咳はやまず、「大人の喘息」「アレルギー」「気管支炎と風邪の複合」など診断名はいくつかもらいましたが、結局、どうしようもないらしい。つまりは「衰え」なんだろうね。
予防になる健康法はないものだろうかと、考えるうちにはすぐに冬がめぐってくる。そしてまた咳に埋もれる。このくり返しです。
ともあれ、寝るとします。 Img_0057_2


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2018年1月16日 (火)

このごろのこと


恒例の「つとめ」で連日4時起きが続いた長いながい1週間をどうにかこうにか乗り切り、やっとひと息つきました。昨日になって、年を越して正月を迎えたという安堵を、ようやく感じることができました。
で、家にもどるなり、明るいうちにさっそく湯屋にくりだしました。


お湯につかって、手足をのばしながら、もうじきにお別れするこの街のことを、ふと思いました。
14年前に引っ越してきたときは、10分も自転車をこぐとたどりつける銭湯が、5軒ありました(1軒は徒歩30秒)。都営線と私鉄と2線が利用できるという利便のほかに、これという特徴がないのだけれども、わたしには天国のような街でした。
が、いまはたった2軒が営業するのみ。鹿島湯、旭湯、そして目と鼻の先だった宝湯の暖簾をもうくぐることはできない。


この街にくる前に住んだ街は、とっても気に入っていて、できれば動きたくはありませんでした。喫茶店と古書店がたくさんあった学生街でしたが、やはりこの15年ほどの間に、どちらも消滅しました。ついでに、活気あった商店街も閑散としてしまいました。歯抜けになる跡地に目について増えたのは、ドラッグストアや牛丼、コーヒー、ラーメンなどのチェーン店ばかり。
ふたつの街は、いつの間にかそんなに変わらない顔になっていました。
この20年来の「均質化」という大きな流れが、確実に街を飲んだようです。街の均質化と同時に、富の二極化も急加速しました。社会はずたずたに分断されました。いい悪い、好き嫌いに関係なく、わたしたちは明らかにそういう時代に押しだされました。


自分が、時代を漂流しているのか、泳いでいるのか、その自覚すら持てない。自分がいる場所を確認するには、あまりに潮流がはやく、四方は無辺です。情報の発熱量が際限なく膨張し、ついに両極の氷を溶かしてしまったから、天候も予測不能です。
ありえないことが、ふつうに起きる。
どうするのだ、なにをするのだ、なにをすべきかーー
お湯のなかで、ぼんやりと考えておりました。こたえられないことは、百も承知で。湯からあがったら、体重が2キロ減っていました。
とりあえず、やらなきゃいけないのは詩集の入稿作業だな。それから引っ越し準備だ。「とりあえず」というのは、なかなかいい言葉かもしれない。

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2018年1月 3日 (水)

このごろのこと


あけましておめでとうございます。
身もフタもないこの社会を、また1年泳ぎきらねばならないかと考えると、体がちぢむ思いです。すこし前までは、宗教的言語としか思えなかったブッダの「一切皆苦」が、それとなく腑に落ちるようになってきました。
ブッダは、至極まっとうな迷いのなかにいたのだと。


ことしがどんな年になるのか、わたしには皆目わかりません(わかっているのは、犬年ということだけ)。3年後、5年後のことも、もちろんわかりません。
ちかごろ、ひとさまの問い(特に時事問題、世界の動向)に「わかりません」とこたえることが、めっきり増えました。謙遜でも、もったいぶるわけでもなく、本当にわからない。
もっとも、わからないからなにもできない、というわけでもありません。わからないからこそ、やってみる価値もあるのです。


年明けそうそう、本腰をいれて入稿の準備をはじめました。昨日、そして今日とつづけて墨を摺り、挿絵づくり。
和紙はすでに年末に調達ずみで、竹入でわりかしと丈夫なF5版を、そろえておきました。こすったり、ひっかいたりすることも想定して、薄くにじみがでやすい繊細な紙は避けました。
ともあれ、絵を描くのはたのしい。これはこれで、たいへん好調な年はじめというべきかもしれません。
穏やかな年になりますように。

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2017年12月31日 (日)

感謝もうしあげます

とうとう、2017年最後の1日となりました。できることはやったつもりですが、執筆活動についていえば、なんとも成果に乏しい年となりました。
ただ、ひとつのご縁をいただいことで、大切な種をまくことはできました。詩集づくりの種です。来年、のびやかな芽がでるやもしれません。
今年の三大出来ごとの筆頭がこれ。
もうひとつ、引っ越しの目処がようやくついたことも挙げておきましょう。不安要素、難題は多々あるのですが前向きにとらえるよりないのかな。
三つ目はーーとくに見あたりません。
あっ、処分しようと思っていた墨絵(半切の掛け軸サイズ)が、思いもかけずもらい手にめぐまれこと。ある偶然から初めてお会いする方が、「いいねぇ」とおっしゃってしみじみ手にとってくださった。どうぞどうぞと、なん枚も気前よくお分けしましたら、銘酒を一杯ふるまわれ、年代もののウィスキーを土産にちょうだいした次第。

ことし1年、表棚の繁盛店でもないこの「茶房ちよちよ」に、たびたびお運びいただいたみなさま、ありがとうございました。心より感謝もうしあげます。よいお年を。

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2017年12月30日 (土)

このごろのこと



毎年のように暮れになると、あれをやらなくちゃ、あぁ時間がないのとぼやいているが、ことしほど、忙しいことは過去にもないのではないかと思う。
机の前にすわるまとまった時間が、どうにもとれません。つい先日は、親族の葬儀で急きょ帰郷ということにもなった。
まずもって、おおきな「宿題」(入稿の準備)のめどがつかいないため、大掃除という気分にもなれないでいます。ご想像のとおり、この「ちよちよ」にも、ちょっと手がまわらなくなっています。
のこすは、きょうもいれてあと2日。「やるべきことリスト」は、さてなにから潰していこうか。


歩きながら、ふと眼をやった不動産屋の物件案内の前で足がとまりました。
二駅東(都心方面)の木造二階建ての2DK物件。まさしくそれは、昔住んでいたアパートの名前でした。6畳がふた間あって、小さなキッチンとトイレ、風呂場がついていました。南向きで、手前が駐車場のために視界にゆとりがありました。たしか家賃は7万8000円。
中央アジアの国からもどってきたとき、数カ月かけて細君がさがした物件で、風通しがよく明るい部屋でした。けっこう過ごしやすかった。難点は、建物に接した住宅内の道路が、環状道路の抜け道になっており、深夜も大型自動車の音が絶えなかったこと(これは住むまでわかりませんでした)。
物件紹介の写真をのぞくと、当時よりもだいぶリフォームがなされて小ぎれいになったとわかります。
その部屋をでて、はや14年になりました。
いちどにふたり増えた息子たちが3歳半になったとき、キッチンのほかに3部屋がある、いまの部屋に移ったのでした。引っ越しは、わりと楽しかった記憶があります。


さて、なんとか次の引っ越し先が決まりそうです。
まえの引っ越しはすぐ近所でしたが、こんどは、東京の西のはじに同じ路線を大きく移動します。距離にして10キロ、最寄り駅は、ここから7駅目となります。まったく、なじみのない場所です。
承知のうえではありますが、ほぼ線路沿いの立地なのに駅から直線道路がありません。途中、無駄な膨らみをつくって住宅地内を歩くことになります。徒歩12分也。

一帯の地図をみると一目ですが、高度成長期に都市計画なしに宅地を急造したと思われ、地域を横切る主要道路がありません(計画はあれど、この10年内の建設のめどは立っていないとのこと)。案内してもらったとき、不動産屋さんの車も道に迷い、「ここらへ来ると、いつもまちがえるのですよ」と、ハンドルをぐるぐる切りながら苦笑いしておりましたっけ。
したがって、間口の狭い飲食店が野放図に密集し(そう見える)、道が錯綜している駅北口を離れると、商店がない。まったくないのです。コンビニもね。いわんや気の利いた喫茶店は、あたりにきっとない。これは、わたしにとって、かなりの難点です。

さらには、主要道がないせいですが、いま現在、日々あたりまえのように見ている街路樹というものがない。街の風景に、どうにも潤いといものが感じられませんなぁ。
誇れるようないいところはーー、現時点では見つかっておりません。が、しいていうならば、こんな郊外なのに、駅周辺に銭湯が2つも生きのこっていること、ぐらいでしょうか。きわめてめずらしいよね。
住めば都となるのかしら。

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2017年12月15日 (金)

このごろのこと



日本橋の紙屋さんにでかけた帰りに、かんらん舎に立ちよったら、贈答品のみかんをすこし分けていただきました。手のひらにおさまり、にぎりつぶせそうなほどちいさい。
紀州産也。出荷向けの立派な粒ではなく、土地の人が食べるものだという。外皮はじつに薄い。ためしにひとつ割ってみたら、まるで果汁を噛むよう。たんに甘いのではなく、味がよくひきしまっているのです。その場で、たちまち3つ食べてしまいました。


帰りの電車のなかで、いちどならず紙袋のなかのみかんをのぞきこみました。なんどそうしたところで、増えるわけなどないのに、ざっと目で数を数える。
持ち帰ったら、すぐになくなるなぁ
と思いつつ、一方で、数えるたびにみかんが増えるという、じつに都合のいい「おはなし」を勝手に思いつく。
男がかぞえることに夢中になっていると、みかんが自分の意志で増殖をはじめてとめられなくなるのです。そのうちに、袋からころがり、車中はパニックになるーー


買い物があったので、最寄り駅ちかくのスーパーに入りました。
と、入り口の青果売り場にみかんの試食がある。いつもならばすどおりしますが、足がとまりました。
と、へんてこな想像がはじまりました。
なにかのはずみで、商品のみかんの袋がやぶけて、ころがりだす。ひとつが、わたしの紙袋に落ちるのです。それをとりだして棚にもどそうとした途端、店員さんがかけてきて、わたしの紙袋をひったくる。
「どうして、みかんがここにはいっているんですか!」
わたしはおろおろして、懇願する。
「とにくかく、ひとつ食べてみてください。ちがうみかんなんです。食べていただけたら、絶対にわかっていただけます」
そんなことが、ほんとうに起こりそうな気がして、足早にそこを離れました。

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2017年12月13日 (水)

このごろのこと


毎朝とおるいつもの道、ガードレールになにかぶらさがっています。ぶちと足をとめました。
テープでくくりつけられた透明のビニール袋の内側には
「落とし物です。持ち主の元に帰れますように」
と紙に書いた一筆。ていねいな、きれいな字です。手袋がひとつ、はいっておりました。
袋の口を折って閉じてあるので、雨に降られてもしばらくは大丈夫そうです。
いったい、こんなふうに手をかけて手袋をつるしてくれたのは、どんなひとなんだろう。
女性だろうか、男性だろうか、年のころはどうだろうか。そういうことをつい想像しました。


韓国の作家ハン・ガン氏の『菜食主義者』(CUON)読了。
しばらく前に読んだ『少年が来た』(CUON)にも驚かされたのでしたが、これもそれにおとらず、しばし、われを忘れて呆然とさせられるような一作。
持病の鈍痛のように、体の奥を叩くものがありました。
いい読みものには、忘れていた記憶を呼びさます力があります。それは、必ずしも自分が経験したことばかりではありません。いつか、人の社会を通過したなにかかもしれないし、はるか昔、進化の途上で先祖がとおった道にあった「石ころ」かもしれない。


机を整頓していたら、友人の形見にもらったカフスぼたんを入れた小箱がでてきました。懐かしくなって、開けてみる。洒落者だった彼が気にいっていた、ティファニーの「ビーンズ」型とラルフローレンの角形、ストライプ模様。そういえば、まだつけたことがなかった。
あっ、次の4月でもう5年か。いまだわたしは、彼がいなくなってしまったことが信じられないでいるらしい。
「どうだい、どこかでお茶しないかい」
と、明日にでも電話がありそうな気がするのです。

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2017年12月 8日 (金)

裁判長にお尋ねしたいのですが

NHKの受信料支払いをめぐる最高裁判決は、予想どおりでした。
「受信料制度」は「憲法に違反しない」とした最高裁は、NHKと支払いを拒んだ男性と双方の上告を棄却しました。高池勝彦弁護士がコメントしたように「(受信料の違憲性を問う主張は今後)一切許さないという最高裁の意思表示だろう」と、みていい。
乱暴きわまりない態度というよりありません。
最高裁は、ただ現状を追認しただけで、重要な問題を問題としてすら扱いませんでした。

そもそも、核心の制度ができたのは戦前です。ラジオを購入する際には、逓信局から聴取の許可書が発行され、これに基づきNHKが聴取料を徴収するようになりました。電話や放送のように公益性が高い通信手段やメディアを政府統制下に置いておくことが目的。いわば専売公社状態。ラジオ放送がはじまった1925(大正14)年は、ほかの放送局はまだ存在しません。いまとはメディア環境がまるでちがいました。
おさえておきたいのは、放送の独占を大日本帝国から保障されたNHKが、どうじに手にした大きな既得権益が視聴料の徴収権だったということです。そしてNHKは、国家が期待したとおり戦時下で存分にその力を発揮しました。

なぜか奇妙なのは、戦後にできた放送法もまた、この徴収システムだけはそっくり踏襲したこと。
と、へんだと思いませんか、受信料制度があるからこそNHKは、特定の企業などに放送を歪められることなく、独立性を保てているのだという現在の主張が。じゃ、時代錯誤ともいえる既得権益をあたえつづける国家との関係は、どうなんだろうか。今回の主旨ではないので割愛しますが、NHK会長人事などから推察なさってください。

たとえば、朝の連続テレビ小説。わたしはずっと、これを電波をつかった一種の道徳教育だと思ってきました。
主人公は、おてんばで元気でがんばりやで、みんなから愛され、まわりを明るくするポジティブ思考の娘さん。「物語」という形で、わたしたちは何世代にもわたり、そういうのを素晴らしい女性の像だと受けいれてきました。
男の子(おじさん)バーションが、「大河ドラマ」。主人公は、義に厚く、大志を持って時代の捨て石になることも厭わない壮士ばかり。手を変え品を変えながらも一貫しているのが、気高き日本人像です。
かくあるべしという男女の「ひな型」をひろく拡散するということにおいて、NHKが果たす役割は放送開始時とそうは変わっていない。

こういったドラマづくりの制作費を、国民はNHKに教化してもらう見返りに公平に負担せよ。平たく言えばそれが判決の趣旨。
いち市民がメディアを選択する権利などないと、司法はついに言いきってしまいました。
ところで裁判長は、連ドラや大河ドラマ、まいど愉しみに観ている「ただしい市民」なんでしょうか。お尋ねしたいところです。

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