2024年2月26日 (月)

月を見ない

根詰めすぎると、月を見ることを忘れます。
で、資料ばかり読んでいるから、テーマに寄りすぎてしまう。テーマばかりじゃなくて、生活のいろいろなことに、おしなべて目がちかくなっている。無自覚に、です。
ちがう言いかたをしますと、視界がとてもせばまっているわけです。ですから、考えかたが硬直してくる。
少々のまわり道に耐えられなくもなっている。
自分で自分を、イヤだなと思う。

「根詰めすぎる」ーーといったけど、この状態は年を重ねたときとよく似ているのですね。書いていて、いま気づいた。
人生の残りの時間が短いから、鷹揚にかまえるわけにはいかない。できるかできないか、やるのかやらないのか、わかるのかわからないのか。ものごとを二項対立でしかとらえられなくなってくる。
待っていられない。すなわち「根詰める」のと、似た状態になってくるのです。

でもいまは、「根詰める」わけでもなく、「年を重ねる」わけでもないけど、日常的に二項対立でものごとを判断することを求められます。それがもっとも迅速で、もっとも明快で、もっとも共感を呼びやすいから。ひとことで言えば、「はやくてわかりやすい」のだね。
でも、ものごとはたいがい、じつはそんなふうにきれいには区分けできない。そんなことをひとに言ったら、理想主義だとか理屈のまえに手を動かせとか、現実を知らないやつだと敬遠されて、みなに置いていかれてしまう。だれも耳を貸してはくれないよね。

そもそもわたしの知るおとなって(そう思えたひとはとても数少ないけど)、おいていかれることを恐れなかった。むやみに走って競うことの限界と無意味を知っているから。むろん、わり切れないことも恐れなかった。切り捨てるもののなかに、あるいはわり切れないもののなかにこそ、じつは大切なことがあるのを知っているから。
おとながいなくなった。そういう言いかたをする文化人がいるけども、そうじゃないと思うのです。効率的に損得のシステムをまわすことを第一義とする社会が、おとなを必要としなくなったーー
むじゃきな子どもがたくさんいれば、こと足ります。たとえば、通貨価値が下落の一途をたどるなか、株価だけが最高値になるというあやうい状況をすなおに喜んでしまう、心根のまっすぐなひと。目さきのことしか目に入らない。すこしさきのことはどうでもいい。そんな人たちが、日々政治と経済をうごかし、晴れ晴れしくニッポンを讃える。きっと彼らは、月を見ない。
書きだしたら、とりとめがない。
月を見て寝ます。

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2024年2月25日 (日)

このごろのこと


執筆が佳境になってくると、なにも手につかない。
出かける気にもならない。せいぜいが、ちかくの銭湯ぐらい。こんな状態がずっとつづいています。
先週はじめのこと。一冊分をやっと送稿した翌日、判読できなかった一次資料のテキスト(2文字)がふいに読め(たと思う)、原稿をいったん引きあげることにしました。そうして、もう1章を書き加えて、これに合わせて全体を再修正しました。
ともかく原稿が手から放れないのです。憑きモノみたいに。
ゆいいつの救いが、買い替えたPCのおかげで作業のストレスがかなり緩和されていること。これは、けっこうおおきいかもしれない。


昨夕、追加の資料が必要になって、急いでふた駅となりの駅ビル内にある書店に行きました。
webで調べたら、さいわいここに在庫があったのです。で、新書の棚のまえに行ったら、後ろの文庫棚にいた親子の声がします。女の子は小学校高学年か中学生ぐらい。母親と一緒でした。
女の子が言います。
「やっぱり、買うよ。決めた!」
おっ母さんは、ちょっとすっとんきょうな声をあげました。
「えっ! わたし持っているから貸すよ。言ったじゃん」
「お小遣いで買うからいいよ。自分で持っておきたいから」
「作者には悪いけど、やめよう。もったいないよ。その分で、ちがう本を買えばいいじゃん。ねっ?」
けっきょく、女の子が折れました。「作者には悪いけどーー」そう言ってくれるだけで、十分にありがたいもんです。
ところで、親子でおなじ作家ものを読んでいるんですね。どなたの本だろう。ふたりが立ち去ってから、うしろの棚を見てみたけれども、わかりませんでした。


ロシアのウクライナ侵攻から、あっという間に2年がたったのですね。ガザでの虐殺を放置して、西側世界はウクライナ支援の団結を声を高くして再確認しました。
起きていることは侵略と占領。いたって単純なことです。いったい、どこがちがうというのでしょう。パレスチナの民とウクライナの民とは、命の尊さがちがうということでしょうか。
この狂った世界で信じられるものとは、いったいなんだろうか。毎日おなじことを考えます。

 

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2024年2月 4日 (日)

このごろのこと

この1週間、ほとんど原稿にさわっていない。PCが満足につかえない状態なのです。

今朝方、注文していたMacPCがやっと届きました(待っていましたよ)。
Wi-Fiにつないでの旧PCからのデータ移行(「移行アシスタント」というアプリがあってこれは便利だった)は、数時間を要したけれども思っていたよりすんなりいきました。
試しにメールを一本書きだして、ひじょうに大事な機能が移行できていないのに気づきました。
愛用してきた「かわせみ2」という日本語変換ソフトが、はいっていないのです。ウェブで調べたけれども、どうもわからない。しかたなくアップルケアに電話する。
つかっていたバージョン2は、もう新しいPCのOSには対応できない。ために、自動的に移行からはじかれてしまったんだろうか。と、原因を聞いてみたが、どうも対応者もよくわからない。というか、アップルのアプリでないので、あまりやる気がない感じ……が、いやでも伝わってくる。

あれこれ調べたら、数時間はあっという間に過ぎるでしょう。
そんな時間はありません。けっきょく、最新のバージョン4を購入してインストールしたはいいが、これまで記憶させた辞書機能が引き継がれない。だって、バージョン2が新PCには移行できていなのだから、引き継ぐ情報がないのです。
また新たに、原稿を書きながら、慣用句やら自分で決めている基本的な表記をおぼえさせないといけない。これはけっこうストレスです。
日が落ちるころには、なんだか疲労感をおぼえました。

ともあれ、仕事を再開するめどがなんとか立ちました。書籍20ページ分の加筆を見直して今週中には、版元に送ろう。
あぁ立春ですと!

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2024年1月28日 (日)

踏みにじったもの

年末年始、ふたつのラジオ番組で、よく似た展開の、よく似た発言に遭遇しました。
いやな違和感が残りました。
一つは、この一年のふり返りで、イスラエル・ハマス戦争がニュースとして取りあげれれたとき。もう一つは、ブックレビューのコーナーで、パレスチナ問題の書籍をすすめる場面。いずれも解説者(もちろん別々の識者)は、古代ユダヤ王国がローマ帝国に滅ぼされた歴史が諸問題の根底にあるのだと語っていました。ナビゲーターのコメントもまたおなじ。「どちらが正しいとは言えないだけに、難しい問題ーーー」

いうまでもなくガザ地区は、完全に封鎖されたちいさなエリアです。紛争がはじまってすぐ、イスラエルがライフラインをすべてとめた報道を覚えていますか? つまり、生存のためのもっとも根本的な資源を占領者がにぎっている。生きるも死ぬも占領者次第という、かごの鳥のような環境です。
欧米でも「ハマス・イスラエル戦争」と報道されますが、戦争というには、あまりに軍事力に差がありすぎるのは、ちょっと考えてもわかることです。

そのガザに最先端の兵器で重武装した占領国家の軍隊が侵攻し、ほしいままに殺戮をくりひろげています。
この現実をまえに、「どちらが正しいとはいえないーー」などと悠長に述べたてることなど、どうしてできようか。ジェノサイドにも正しいものと、正しくないものがあると言うにひとしい。正しい入植、正しい占領というのが、あるのでしょうか。
いま目前の惨状を直視しようというとき、古代ユダヤ国家がそこにあったなどという話を、どうして持ちだすことができるのか、わたしには理解できない。これは、宗教史でもって語るべき問題なのだろうか。

鶴見太郎氏の「シオニズムとはなにかーーイスラエルの孤立化と軍事信仰の起源」(https://synodos.jp/opinion/international/17133/

)によれば、現在、イスラエルと北米のユダヤ人口はそれぞれ600万人弱、フランスには50万人ほど、イギリスと旧ソヴィエト諸国には30万人ほどが暮らしています。忘れてならないのは、パレスチナ人の土地にユダヤ国家を建てるというシオニズムの示した道を選ばなかったユダヤ人が、いまも多数派だということです。
つまり、武力でパレスチナの土地をうばったイスラエル固有の問題なのです。シオニズムを信奉する近代の政治ムーブメントの引き起こした惨事です。
シオニズムを、ユダヤ教と混同してはなりません。

アメリカ、イギリスはじめ欧米諸国は、こぞってイスラエルのジェノサイドを是認しました。長い歴史のなかで築かれた近代の人権主義は、もうかたちをなさない。ロシアの侵攻に対抗する重要な根拠も、失われてしまった。寄ってたつ倫理をみずから放棄し、アウシュビッツ以来の悔恨と和解と命を尊重する歴史的努力を、みずからふみにじってしまいました。為政者たちは、それに気づいているでしょうか。その代償が、いつどのようなかたちで跳ね返ってくるのか、わたしには見えない。
ともあれ、錆びついた政治的腐れ縁と経済にすがって弱者の命をかくも無残に見捨てた世界は、漂流するよりないでしょう。

 

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2024年1月20日 (土)

このごろのこと


見なれた場所にいました。生まれ育った山間地の農協の集荷所。少年のわたしはそこですわりこんで、ひと休みしている。天気はいい。さってそろそろ行くか。
腰をあげたはいいが、乗ってきたはずの自転車がないのです。なにを急いでいるか、ともかく激しくあせっている。探せど、さがせど、自転車は見つからないーー

なぜか就職試験で、若いわたしが知らない町にいました。面接は上々で、つぎは自転車で町外れまで走る(なんだろ、意味不明なこの設定)ことになっていたのだけど、ヘルメットがなくなっているのです。ほかの面接者の自転車は次々とスタートしていくけども、わたしはおろおろ荷物をひっくり返すばかり。とうとうひとりになってしまい、いつまでも出発できないーー

この2日、こういう夢をたてつづけに見ました。朝方目を覚ましたとき、まだ夢と現実が境があいまいのまま。しばらくして、夢だと気づいてほっとするのです。
でも、どうしてどちらも自転車なんだろぉ。
しかも、どちらも大事なものをなくして、走りだせない。考えたところでわからなんだろうけども、ふと考えてしまうのです。


いく人かの知人から、この「ちよちよ」でしばらく政治的な話をしませんね、と言われました。あえてですか、と。
ガザでのジェノサイドとシオニズム、ロシアのウクライナ侵攻、自民党の裏金不起訴……
現実の速度に、言葉が追いつきません。あまりに情報が多すぎて、言葉が吹き飛んでしまう。2冊抱えている書籍の、せめて一冊にめどがついたら、おいおいなにかを書きだすかもしれません。


この数年、必要があるときは、水溶性の色鉛筆ばかりつかっていました。で、今日たまたま短くなった油性をつかったら、発色がきれいなのに驚きました。いまさらだけど。
水溶性のセットはけっこう値が張ったので、なんだかつかわないと損だと思いこんでたみたい。貧乏性なのです。どうってことないんだけども、気づき直したーー。そのことが、すこしうれしい。


10年つかっているMacPCが、よろけてきました。方々でバグが起き、そろそろ限界です。つい先日は、トラックパッドまでが不具合となり、緊急の措置で古いマウスをケーブルでつないでいるけども、これがとても不便で仕事がはかどらない。これで、二冊の書籍の作業を平行してすすめるのは無理であろう。とうとう見切りをつけました。
トラックパッドの買い替えでなく、MacPCごと入れ換えることにしました。
でもって本日、雨のなか池袋に出かけていって購入手続きをした次第。まぁおおきな出費になりました。
働くほど、金がなくなる気がする……

 

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2024年1月10日 (水)

このごろのこと

この数日、すこし原稿の加筆作業が停滞しました。

ついに朝起きが、苦手になりました。今朝なども、ふとんからなかなかでられない。ぶちがいるときは、毎朝6時前に目が覚めたのに。で、寝ぼうのぶちを起こしたんだけど。

視力が弱ってきて、やや字がちいさいと、眼がねをかけても見えなくなりました。とはいえ、健康診断での視力検査は両目1.2なんだなぁ。

目白の田中真紀子邸の火災があった日の報道が、どうもひっかかっています。やや腑に落ちないことがーーある。

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2024年1月 5日 (金)

年のはじめに

元旦からいつもどおり。
なるべくいつもどおり、と思っております。
左ももの状態はあまりよくないけど、この5日間、朝から短い距離をはしりました。きょうは、川面を低くひくく下流に飛んでいくカワセミに遭遇しました。
で、原稿に向きあう。ときおりクロッキーをやる。そんな正月です。

書籍原稿の20ページ分ほどの増量を、年末に版元から依頼された次第。
そういえば、原稿を切ってくれという相談は多いけど、増やす打診というのは昨今めったにありません。提出まえに気前よく切った量はそうとうだから、単純に少しもどせばいいと考えがちだけど、そうはいかないものです。全体のバランスがどうにもたもてない。さんざん加筆した末に、もういち度、構成を練りなおして、章のあたまから書きなおすはめになる。そういうこともあります。案外、沼です。

このところ毎年、年はじめには「無理をしない」とつぶやいている気がします。でも、今年ばかりはそうもいきそうにないのです。一冊を出版し、一冊分の原稿を書きあげないといけない。
少々の無理をします、たぶん。
本年も、みなさまのお世話になります。

 

 

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2023年12月31日 (日)

さて2023年が暮れます

2023年が間もなく終わります。365日は、あっという間でした。
できること、やるべきことを残さずやった年でした。
書籍一冊分の原稿をとにもかくにも書きあげ、まるで見とおしが経たなかった次の書籍についても、できるかぎりの素材を集めて歩きました。あとは年明けから書きだすのみです。どう転がるのか、どこに着地するのかわからないのだけども。

今年は、久しぶりに海外にも足を運びました。
台湾まで行って原書にあたる意味があるのかないのか。判断つきかねましたが、そういうときはやってみるにかぎる。国立臺彎図書館で、目当てのマイクロフィルムを見たとき、そう確信しました。
このテーマにかかわって10年以上が過ぎましたが、初めて原稿を書きとおす自覚とも自信ともつかぬ意思を、おのれのなかに見つけました。

12月に入ってから、書きあげた書籍原稿の行き先がついに決まりました。急いていたわけでもなく、どこか手をあげてくれるはずと思ってはいたけども、まぁかんたんには行きません、昨今はとくに。
台北空港でスマホをWi-Fiに接続したときに、このうれしい報せをメールで確認しました。なんとはなしに台北に縁を感じてしまった次第。もしこの一冊が仕上がったら、再訪しようと思っています。

もうあと数時間で2024年です。本年もみなさまにお世話になりました。

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暮れの2日間

30日、31日の2日間は執筆にあてよう
との強い意思で、いつもより少しはやめに大掃除にとりかかったのだけども、沼にはまってしまいました。家中のエアコンのフィルターと電灯のかさを洗ったりと、昨日は朝から夕までよく動きました。きょうは朝から、不要になったゲラや書類を束ね、ひたすらちぎり、箱をつぶしーー。さらには、机のうえの小物をまとめ、机のなかをひっくり返し、それでも片づかない。
どうにも抜けだせないのです。
本日の午後2時まえになり、とうとう断念しました。
いまから机にすわる気にはなれずーー
池袋の書店にでかけるとします。欲しい2冊の棚をただいま検索したところ。

今年、出会った本、執筆や考えごとのために再読した本を一覧にします。

・『失われた時 盗まれた国』(増田幸弘 作品者)
・『アントピア』(ウォルター・モズリイ 品川亮訳 共和国)
・『仏教入門』(南直哉 講談社現代新書)
・『奇跡ーミラクル』(長田弘 みすず書房)
・『死者の贈り物』(長田弘 みすず書房)
・『人はかつて樹だった』(長田弘 みすず書房)
・『世界は分けてもわからない』(福岡伸一 講談社現代新書)
・『招かれた天敵』(千葉聡 みすず書房)
・『新冷戦時代の超克 「持たざる国」日本の選択』(片山杜秀 新潮新書)
・『くらしのアナキズム』(松村圭一郎 ミシマ社)
・『BULLSIT JOBS クソどうでもいい仕事の理論』(デヴィッド・グレーバー 酒井隆史・芳賀達彦・森田和樹訳 岩波書店)
・『人類の衝突』(島薗進 橋爪大三郎 サイゾー)
・『消せなかった過去 まど・みちおと大東亜戦争』(平松達夫 朝日新聞出版)
・『元気な日本論』(大澤真幸 橋爪大三郎 講談社現代新書)
・『幻影解「大東亜戦争」 戦争に向き合わされた詩人たち』(今村冬三 葦書房)
『Sakalin』(新田樹 ミーシャプレス)※写真集だけど、読みごたえがあります
『詩と散策』(ハン・ジョンウォン 橋本智保訳 書肆侃侃房)

いくつか落ちているものもありそうですが、手帳のメモにあったのはこの17冊かな。こうしてみると、よく読みました。読書をふり返るのは、自分の思索の足跡をたどりなおすことでもあります。
一冊ずつの感想を書きたいところろですが、陽が高いうちに出かけたいので悪しからず。『詩と散策』は、いつか時間を見つけてもういち度読み返したいと思っています。橋本智保氏の訳もまたすてきでした。
とり急ぎ。

 

 

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2023年12月29日 (金)

このごろのこと

台湾からもどって、休みなしで雑務をひたすらこなしました。
目をあげれば、もう今年があと数日……です。

昨日、柿の木の頭を少し詰めました。まえの住人が隣家との境に植えたもので、枝の管理に難儀していました。引っ越した最初の年の瀬に、木によじのぼって枝を落とし、頭を低くしました。それが年末お決まりの作業になった。あれから4度目の暮れで、ようやく幹が背丈ていどに落ちつきました。
かつて、木のうえから見おろせば、居間の窓辺にできた日だまりでぶちがまるくなっておりましたっけ。のこぎりを無心で引いていたら、ぶちのいる風景が、まぶたに浮かんできました。いなくなってとうとう1年2カ月です。暮れですよ、ぶち。

昨日の夕、ふいに目がまわりだし、なにも食べずにふとんにもぐりこみました。12時間寝たら、今朝は少し体力がもどっている。疲れが澱のように体の底に沈んでいたようです。
体調を完全に崩すまえに体を休ませないと、回復にけっこうな時間がかかってしまう。そういう年になりました。明日は湯屋に行こう。

SNSを開くと、目を塞ぎたくなるようなガザの惨状が絶え間なく流れてきます。公然たる虐殺を容認するこの世界の当事者であることを、これほど痛切に思ったことはありません。なんと不条理な世界でしょう。
もしも戦前にSNSがあったら、各地に展開した日本軍の行動があちらこちらから流れてきたかもしれません。

散髪のときは、ちょっと離れた昔住んだ町に出かけます。帰り道、20年ほど前に自転車を買った個人店のまえで、立ちどまりました(まだあるのがうれしい)。気になっている電動アシスト自転車の値段が、わたしの知るそれではなくなっていました。13万円代だったのが、15万円代。店主が出てきましたので、尋ねました。
「値上がりましたよね」
「要因は、ほぼバッテリー代なんです。ちょっとまえに2万円ほど上がりましてーー」
で、ひと息おいて言いました。
「来年2月にはまたそのぐらい値上がりますよ。こればかりはどうしようもないもんで」。
値上げ率にも、値上げの間隔にもびっくりしました。正味5万円ほどのバッテリー代に限っていえば、現状ほぼ4割の値上げ率となる。そういえばラーメンの値上げ率だって20〜30%です。一杯、1,000円がふつうになっています。停滞をつづけた日本の経済が、確実にこの流れに乗った2024年であったことを、あらためて思い知りました。一方で、賃金の動きはとてもこれに追いついていない。来たる年に問われる切実な問題は、ここなんだろう。

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