そろそろ
疲労がたまったかもしれない。
思考の回路がめぐりにくくなっているのがわかります。
もうひと月以上も、原稿のおなじ章のなかを行ったり来たりしている。さきにすすめない、どうしても。
こういうときにかぎって、いろいろなことが立てこんで、身うごきがとれなかったりもするわけです。
一冊の読みものをつくろうと思うと、あまりテンポよくすすまない、あるいはこれという読みどころがないところにかならず突きあたります(まるまる1章分、あるいは2章分がそう)。
ならば抜いてしまえばいい——
のだけど、そうはいかなったりする。全体の深みや奥ゆきをつくるには、どうしてもそれが必要なのです。背景や前提、水脈を丹念に描くことをしておかないと、話は肝心なところでダイナミックにうごきださないのです。
そういう章は、だいたいにおいて複雑な事象がからみあい展開に乏しい。しかもテーマの本題ではなくサイドの部分です。
そんな話のよどみを、いかに読ませるか。そこに根気よく手をかけるかどうか。一冊を生かすも殺すもこれにかかっている。と、思う。
数日かけても、半歩、または一歩ぐらいしかすすまない。おおきく後退してしまうこともある。書いている自分自身がぜんぜんおもしろいと思えない。それでも、そこにずっと手をかけている。
ところが、このよどみが流れだすと、自分自身がわかっていなかったことに、気づかされたりもするのです。
そういうことか——
となにかが腑に落ちたり、思いもしなかった仮説が浮かんできたり。
そろそろ、そんなところに差しかかるだろうか。毎日、そんなことを思ってはいるのですけど。そろそろが見えない。