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2011年4月18日 (月)

「わからねえ」

無沙汰をいたしました。
さる人を訪ねて、しばらく九州は大分の山中、飯田高原というところにおりました。昨夜、久しぶりに山を降りて、福岡空港から東京に戻ってきたところです。

その昔、東京駅近くに「秀山荘」という、山とスキー用品の店がありました。辻まことのつくった、画文広告がいわばここの看板で、皮肉の効いた洒脱なコピーをご記憶の人もありましょうか。お会いしてきたのは、この秀山荘の名物社長だったミウラさんです。85歳の翁と飯田高原で会うのは、これが二度目です。

高原では、勝手知ったるロッジの一室に荷をおきました。ミウラさんが所有するこのロッジ、大食堂をそなえた管理棟と、宿泊用の10室ぐらいを離れに具えておりますが、訳あって営業はしておりません。ですから、鬱蒼たる森のなかにあるでっかい施設を、贅沢にも、ひとりでつかうことになります。
いつもどおり、朝6時から走り、管理棟のバルコニーでトーストとコヒーの朝食、それからスケッチブックを持って、下の集落にぶらりとおりてゆく。
そうこうして日が高くなると、ようやく床から起き出したミウラさんが、わたしの携帯を鳴らすのです。
「どこかに、昼飯でも食べに行きませんかね」

店を畳んだいまでもミウラさんは(現在はこちらで小規模のレンタルスキー屋を経営)、金と人の生かし方ともいうべき矜持を持ってあたりを眺めまわしています。なんでも数値化して、ビジネスの秤にかけてしまう。事象を漠然と眺めるのでなく、すぐに
「自分ならーー」
と考えだします。
料理屋に行けば下駄箱の靴で、人のいり具合、客層を推しはかっています。飛び入りの喫茶店でも、客単価や回転、利益率を弾いています。サウナに入れば、サウナ室のマットをはじからひっくりかえします。
「こうやりゃあ、次の人が気持ちよくつかえるってもんでしょう。気持ちよけりゃ、また人がくる」
ここに定住してじきに20年になるといいますが、歯切れのいい江戸言葉は抜けません。

コーヒーをやりながら、ミウラさんが、自分流の仕入れと、客への品の見せ方を気分よく語っていたときです。せっかくだから、ひとつ聞いてみました。
「ぼくのみたいな、時流にはみだした売りにくい本、ミウラさんならどう売ってみせますかね」
翁はめずらしく、考え込みました。で、ややあって口をひらいたのです。期待した言葉は、
「わかんねなぁーー」でした。
「だってオレ、本はあつかったことがねえんだもの」
わたしは、つい大笑いしてしまいました。
わかること、わからないこと。できること、できないこと。この線引きは、気持ちいいほどあきらかです。べつの話題のときでした。れいの「売りにくい本」の会話を急に思い出した翁が、こう切り出しました。
「コマムラさんの本の売り方はわからねぇけど、そんなことよりも、あんたが売れる本を書くほうが簡単じゃねえですか」
じつに的確な指摘です。
「どんな売れねえ時代でも、必ず売れてる本はあるでしょ。いまの人の好みを考えたら、2万や3万はすぐ売れるはずですよ」
わたしは、ゆっくりうなずいてから返しました。
「たぶん、売るだけの目的では、ぼくは一冊だって本を仕上げることはできないでしょうね。弱ったことに、それは書く力にならないんです。まっ、金もうけをしたけりゃ、そもそも違う仕事をしてますよ」
今度は、翁が笑いだしました。
「そりゃそうだ。そっちは、あたしと人種がちがうんだったな。こっちは商人だから、そっちの人のことは、皆目わからねえな」
そういえば、辻まことのパトロンであったミウラさんは、彼の絵や文についてのウンチクをひとことも垂れたことがありません。絵の世界だの思想だの、金で割りきれないことは、彼にはわからないからです。「辻さんのことは好きだったけど、文章だのはてんでわかんねぇよ」 Img_0355_2
わたしも、こんなに朗らかに「わからねえ」と言ってみたいもんです。言えそうで、言えない言葉なんです。

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