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2011年11月 9日 (水)

夕暮れの犬

一匹の犬が、道を急いでいます。日が落ちようとしています。
〈君はどこへ行こうというの?〉
そろそろラッシュがはじまろうというときです。犬に気づいた、わたしの前の車が、ちょっと徐行してよけてゆく。わたしも慌ててハンドルを左に切って、ちらっと横に眼をやりました。
柴犬ぐらいの体格で、首輪をしています。抜け毛がだまになっていて、毛並みはやや荒れているように見えました。
〈どうしたの?〉
気にかかってバックミラーで確認すると、犬はやはり黙々と駆けていました。

先ごろ、青森県に行ったときに眼にしたこの風景が、なかなか脳裏を去りません。その犬を見かけたのは、六ヶ所村から、宿をとった三沢の市街に戻る途中でした。犬は、市街地の方に向かっていました。その先に目的地があるかのような足どりでしたがーー
はたして、彼には帰る家などあったのでしょうか。どうして、ひとりぼっちだったんでしょう。あれからどうしたでしょう。

東京に帰ってきてから、なんどかベルギーの絵本作家、ガブリエル・バンサンの『アンジュール』(BL出版)を書棚からとりだしました。文字がなく、絵のみで構成された彼女の最も有名な一冊ですから、知っている方も多いでしょう。
ある日、なだらかな平原を走っている車の窓から、成犬が放られます。そう、捨てられたのです。飼い主の車を追っかけた末に振り切られた犬は、とぼとぼと道を歩きだす。車にひかれそうになったり、おっぱらわれたりしながらも、犬はただただどこかに向かって歩くのです。
エンピツで引いた彼女の単純にして強い線は、犬の骨と筋肉を動かし、迷いや苦悩の表情を浮きあがらせ、文字以上に犬の孤独を語りかけます。
やがて行き場のない犬は、同じように寂しい影を引いた少年を見つけ、近寄っていきます。少年の後ろには、小さな鞄がひとつ。どうやら彼もひとりぼっちらしい。けれども、その先のシーンを彼女は描きませんでした。物語はここまでです。ひょっとしたら彼女は、どこにも転がっている普通の人生を、この犬に託したのかもしれません。
だから、これで十分だったわけです。絶望もなければ、ハッピーエンドもない。安直な感動も安心も必要なかった。

バンサンの無口な物語と、あの日わたしが観た犬ーー。言いようもなくもの悲しい孤独感に覚えがあるのは、わたしだけではないはずです。あると思っている帰る場所も、じつはいっときの借宿で、実はだれもがあてなく道を急ぐ「アンジュール」なのかもしれません。
『アンジュール』の最後について、わたしはこう思うのです。
素性も分からぬ犬と少年がすれ違うことなくすっと近づけたのは、互いに孤独を知っていたからだと。ただそれだけでじきに別れ別れになろうとも、一瞬でもわかりあえたのなら、その出会いはきっと互いの胸で永遠となる。
逆に、孤独を知らないもの通しが、どんなにたくさん集まって大きな「友だち」の輪をつくったとしても、気持ちは一向に静まりません。無数の出会いはただ消滅するためにあるようなものです。ずっと不安ですから、自分がひとりでないことを確かめるために、ほかのだれかを疎外して集団のなかに、小さな集団をつくることになります。集団(仲間)づくりは、どこまでも果てしなく続きます。

「人生とは孤独であることだ。誰も他の人を知らない。みんなひとりぼっちだ」
とヘルマン・ヘッセは言いました。その「ひとりぼっち」をこうとらえた人もいました。
「孤独を愛さない人間は、自由を愛さない人間にほかならぬ。孤独でいるときのみ人間は自由なのだから」 Img_0529
哲学者のショーペン・ハウエルです。 
あの犬の姿を思い浮かべるたび、わたしは孤独の意味の考えます。

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