『DAU.ナターシャ』
久しぶりに映画館に行きました。Noは、たぶん53だと思う。
〈シネマ手帳〉No53
幕が下りたとき、胸にあったのは感慨や思索ではなく、あきらかな戸惑いでした。たったいま観た映像は、少なくともわたしが知る「映画」ではなかったのです。
舞台は1952年、ソヴィエト社会主義共和国連邦の物理技術研究所に併設されたカフェです。登場人物は、カフェの労働者であるナターシャと同僚のオーリャ、研究所で軍事研究を行う常連の職員たちです。
2人で切り盛りするカフェの仕事ぶり、閉店後に開かれる女2人の酒盛りと諍い、研究所職員たちの気違いじみたパーティーや、その最中の享楽的な情事が、ナターシャを通して、濃密に映しだされる。スクリーンには、街の底に溜まるグロテスクな欲望があられもなくほとばしるのです。
カメラのレンズはひたすら、ナターシャという「点」に寄っている。あえて、俯瞰した「全体」(政治体制や社会矛盾)はあらわれない。
この映画の異様なまでの生々しさは、どこからくるのか。
タイトルの「DAU」は、1962年にノーベル物理学賞を受賞したソヴィエトの物理学者「レフ・ランダウ」からとった、時代を象徴する記号です。あしかけ15年に及んだ映画づくりは、ランダウが勤めた研究所を核にして、あの「時代」を完璧に再現する巨大なプロジェクトでした。
街のセットは、ウクライナの廃虚となった1万2000平方メートルの敷地内に建設されています。
驚くべきは、主要キャスト400人のうち一定数が、ここで当時の衣装のまま約2年間にわたり生活したこと。研究所では、映画に参加した本当の科学者各自のテーマ研究が継続され、イリヤ・フルジャノスキー監督はじめ制作スタッフも、出演者とおなじ時代の衣装で、いたるところでカメラを回しました。つまり、生きた街が、そこに生みだされたのです。撮影の延べ期間は40カ月、回った35ミリフィルムは700時間分にのぼります。その700時間のなかから取りだされた物語の第一弾が、本作なのです。
毎朝届く当時の新聞を目にして、通貨ルーブルで暮らす出演者たちは、ソヴィエト体制下の社会システムに従い、それぞれの役柄のまま人間関係をつくっていきました。いつしか、憎しみも愛情も、演技を超越していきます。
さて、ナターシャの目に映る代わり映えしない街は、終盤、まったく違う姿をあらわします。都市のなかに穿たれた深い穴に、彼女は落ちてしまう。落とされるのです。
その穴こそが、全体主義を維持するのに必須の機密空間だといえます。
ちなみに、穴のなかでナターシャを待ちかまえる男は、実際に元KGB大佐だった人物です。もっともナターシャ役のナターリヤ・ベレジナヤ、オーリャ役のオリガ・シカバルニヤ、ナターシャと肉体関係を持つフランス人研究者ら多くは、演技とは無縁の仕事を持つ人々で、役者ではありません。その意味でも、これは恐るべき映画であり、実験だといえます。 75年、モスクワ生まれの異才・フルジャノスキー監督が、次になにをしかけるのか。要注意です。