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2021年6月

2021年6月24日 (木)

このごろのこと


数軒お隣の14歳になった柴犬が、めっきり歩かなくなったと、おばさんが心配げに言いました。
「お散歩が好きで毎日一時間も歩いてたのにね、今日なんか、この少し先で動かなくなっちやって……」
13歳のぶちも、そんなに変わりません。
「うちも、そうですよ」
ただ、ちがうことは以前から歩くのが好きじゃなかったということ。子どものときから、積極的に「歩かないからね!」と主張していたこと。


先週の土曜の朝は雨でした。いつもの散歩はなし。遅めにふとんをぬけだして、ラジオを聴きながらコーヒーを入れて、時計をみれば、すでに10時過ぎです。けれども、人のふとんを占拠したぶちは、まだ起きる気がない。朝方、トイレをして、しばらく居間におったのですが、階段をのぼって勝手にまたふとんに戻ってしまったのです。二度寝です。


このごろ、たまに遅くまで起きていると、階段をのぼってくる音がして部屋のドアの前でとまります。ドアを開けてみると、ぶちがすわっていて、ブッブッブッッと鼻を鳴らします。
じきに仕事場の机のまわりで、いびきをかきはじめます。抱きかかえて下の階に降ろすのだけど、ふとんに入らず、10分もするとまた階段をのぼってきてしまう。
しかたなく、PCの電源を落とし作業を終いにします。一緒にふとんに入ると、もう上にはいかなくなります。
「そろそろ、寝ようぜ」って、言っているんだよね。

 

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2021年6月19日 (土)

プロジェクトの目的

東京オリンピックは、はなから「開催する」こと自体が目的だったようです。手段が目的と、すっかり入れ替わっています。であれば、なるほど「アルマゲドンがないかぎり」撤退は、ありえないわけですね。

ある巨大プロジェクトの部分ぶぶんの作業において、目的が省みられることってあまりありません。しかし作業の統合、決定的な判断を求められる局面では、目的が必ず呼びだされます。目的を持たないプロジェクトは、羅針盤を持たない航海とおなじです。

はじめたら最後、目的がお砂糖のようにたちまち溶けてしまうーー
どうして、こんなことになるのでしょう。
意図する実益の確保が別にあって、目的は公表のためにつくられるからです。
では、どうして実益を、すなおに目的にしないのかといえば、多くの場合、それが犠牲を強いる社会の利益に(資するように見えながら、じつは)合致しないからです。もともとが、それらは一部の受益者のための受益者によるプロジェクトなのです。

戦争も、一種の国家プロジェクトです。
さきの15年戦争では、植民地をめぐる散発的な衝突が、ついに全面戦争に発展しました。
ときの政府は、究極の目的たる「植民地権益」=「支配による収奪」を語らず、手段であるはずの「聖戦」そのものを民に向かって掲げました。盧溝橋事件から2年目に、陸軍情報部がつくったパンフ『国家総力戦の戦士に告ぐ』(まっ、大衆向けの聖戦の手引きだよね)によれば、聖戦とは「東亜の諸民族の為に新しい天地が開かれ、其の安寧と繁栄と幸福とが約束され」た状態を、(なぜか)日本がつくってあげる戦争です。「全人類がコロナウィルに勝利した証」を、(なぜか)日本が立ててあげる、というのと似ていますね。東亜や全世界のために、自己犠牲を覚悟で「やってあげる」のです。肝心な「なぜか」は、口にしません。

ともあれ、戦争をはじめた時点で、すでに目的が溶けているのは、東京オリンピックとおなじです。
振り返ってみれば、近代日本は大掛かりな国家プロジェクトを打ち出すとき、公益(自国民の人権や隣国の権利を含む)と格闘してこなかった。つまり、公の合理的な目的を制定することがずっとできなかった。言い方を変えれば、到達点を定めず、進退の判断ができない型(制約)のなかで、手段だけを頼りに前進をはじめることが常態化しました。その度ごと、目前の出来事を解決するため、言葉をもてあそび安易で空疎な目的をひねりだしていく。そこには、具体性も誠実さもない。
皇国史観が、その根深いところにあったと私は思うのです。あらゆる価値を超越する天皇の国は、存在そのものが神聖です。皇国の正義を掲げてしまえば、異なる価値観、ぶつかる利害の調整をもはや必要としないのです。それ以上、それ以外の目的など存在しないのですから、言葉も、理論もいりません。

組み込まれた予定通り(一部の自治体をのぞき)聖火リレーは粛々と、いまも遂行されています。「実施」が、目的だからともかくやるのです。沿道に出てきて、スポンサーの景品を受けとって空々しい行列に手をふる人々と、聖戦の局地報道(大本営発表だよ)のたびにわきだしたかつての提灯行列と、なにがどうちがうのか、わたしにはよくわかりません。
わかることは、せいぜいひとつ。ようするに、目的などなくとも、見えずとも、一定数の、それも少なくない人々はこうやって動員できるという厳然たる事実です。目的が、支離滅裂の「進め一億火の玉だ」だって、ぜんぜんかまいやしないのです。

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2021年6月15日 (火)

レール


先日、陽が明るいうちに乗った電車の車両が、たまたま最後尾でした。ふと振り向くと、窓越しの風景がうしろへ後ろへと逃げてゆく。乗り慣れたいつもの路線が、まるでちがって見えるのに目を見はってしまいました。
途切れることなくつながるレールはまるで時間軸で、どこかに向かって時間を遡っているのではないかという空想がひろがる。


ふと、一本の映画を思いだしました。イ・チャンドン監督の「ペパーミントキャンディー」。フィルムの逆回しにより、列車がどんどん後ろへと走るあの映像が浮かんだのです。戦争と独裁政権下の監視社会に翻弄された、ある男の20年がレールを滑るように映し出されてゆく。
細部まで覚えていないのですが、見終えた後の荒涼たる寂しさだけが記憶の奥からよみがえり、過ぎ去るレールから目をはずしました。


わたしのなかでは、なぜかレールは空間的なベクトルでなく、時間的なベクトルです。どうしてだろうか。
レールをよりどころに人や物が行き交う時間の感覚は、単調で安定しています。でも、考えようによっては迂遠です。固定したポイントたる駅を必ず経由する手間、一本道という制約、そしてそれゆえの安心感。それって、家のドアを出て目的のドアの前に行ける自動車の移動にはない感覚かもしれません。

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2021年6月14日 (月)

熱狂があった


スガさんが、G7サミットでオリンピック開催の決意を表明なさったそうです。
よかったじゃないですか。
おそらく各国首脳にとって、そんなことはどうでもいいのでしょう。せいぜいが、「がんばってくださいね」と大人の顔で受け流したと思えます。だって相手は、こどもだもの。
それをそのまま「全首脳が支持」と、おおまじめに報道する日本のメディアのすごさよ。「ことほぐ」という言葉がとっさに浮かびました。


オリンピックを開いて、なにかが変わるでしょうか。
まさか1964年の東京オリンピックのように、西側の国々に遅れをとったアジアの小国が大躍進する起点になるとでも、本気で思っているのでしょうか。
その「まさか」であるならば、この国はすでに1964年以前の状態に没落しているという事実を、自ら外に向かって認めていることになります。
じゃ、そもそも高度経済成長によって実現した豊かさとはなんだったでしょうか。急伸した経済力によって、手に入れた(と思っている)ものとはなんだったでしょう。


オリンピックが「安全、安心」かどうか。現実的には重要なことだけど、この国の現在の混迷ぶりをとらえるためには、もっと過去に立ち返る必要があります。
いまいちど招致した地点へ。あのとき、だれが、なんのために、この巨大イベントを引き込もうとしたのか。社会は、どんなふうに東京大会の決定を受け止めたのか。あのときたしかに、ある種の熱狂があって、それはいまの政治状況をつくりだした気分とつながっているよね。そう、つながっている。

 

 

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2021年6月 7日 (月)

このごろのこと


聞きたくないことば。
「安全・安心」
どうでもいいこと。
「人類が新型コロナに打ち勝った証」
いらないもの。
「希望と勇気」
みんな不要。


ぶちはますます歩きません。
家の前から歩きだすのにあまりに時間がかかりすぎるので、少しさきの辻まで抱いてゆき、そこでおろしてやります。
体重が12キロあるのでそこそこ重い。よっこらよっこら歩いていると、近所のおばあさんに笑われます。


部屋のなかは暑いのだけれども、ときどき入ってくる風はひんやりとしています。
もう梅雨か。まだすこし先か。
夏が来れば、からまった五つの輪が、東京にころがってくるそうな。もつれて、這うようにしてやってくるそうな。妖怪かな。
権益と欲望の変異種だそうな。

 

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2021年6月 3日 (木)

鶴見俊輔の「もし」

昨日の続きというわけではないけれど、鶴見俊輔の『詩と自由』(思潮社)をぽろぽろと拾い読みしていて、つまずいた場所に少したたずんでみたい。

「明治の歌謡」というエッセイがあります。
彼が小学生時代に親しんだ唱歌を思い起こし、それが国家主義とどう結びついていたのかを、個人的な体験を織り交ぜつつ、ゆるゆると語っております。
話の末尾にこんな一節がありました。
「もし大東亜戦争が、原子爆弾の投下によらず、重臣層の平和交渉によらずに進んでいたとしたら、国家に対する無私の献身のエネルギーが、国家改造のエネルギーに向かって自発的にきりかえられるようなある一点に達したのではなかろうか」

わたしは、言わんとしていることを即座に理解しかねて、またここを読み返しました。で、この一節は次のように続きます。
「幕末に両者が合流し、明治初期に両者が合流し、昭和初期に両者が合流に近いところにさしかかったとおなじように、大東亜戦争の末期も、このような条件の成立を準備していた」
「両者」とはだれ(なに)とだれ(なに)か。前文にもどっても、これが明確に示されておりません。推察するに、現状の国家を動かす政治権力に対抗する、「国家に対する無私の献身のエネルギー」がわきおこり、衝突するということらしい。
つまり、「昭和初期に両者が合流に近いところにさしかかった」という出来ごとは、昭和11年の二・二六事件を指すのでしょう。

彼は1922年の生まれですから終戦時は23歳です。
二・二六事件とはちがう形で、「大東亜戦争の末期も、このような条件の成立を準備していた」。それが、戦時の社会を見届けた若者の実感だとしたら、どうしても立ちどまらずをえないのです。どうしても、お尋ねしたいのです。
そのころ、国家指導層を引きずり降ろすエネルギーが、どこにあったのかと。もしあったとすれば、それは敗戦必死の国をどこに導くことができたのか。
そもそもポツダム宣言の受諾を、あの無残な全面降伏を「重臣層の平和交渉」などと、さらりと言ってのけていいものですか、と。

二・二六事件を振り返るとき、わたしが必ず立てる問いがあります。
もし、あのクーデターが成功して、将校たちが希望した軍の人材によって軍中枢と政府が刷新されたならば、泥沼の日中戦争はどこで決着をみたか、と。で、そのさきの日米開戦もなく、昭和20年の敗戦も当然なかっただろうか、と。

青年将校たちの「国家に対する無私の献身のエネルギー」は、たしかに純真でした。でも、青年将校たちの理想「天皇親政」と、社会にあまねく浸透していた大日本帝国の神聖と正義(植民地主義)とは、見え方がちがうだけのおなじベクトルではなかったのか、とわたしには思えるのです。
さすれば、敗戦間近に「国家改造のエネルギーに向かって自発的にきりかえられるようなある一点」がありえたという「もし」は、あまりに目出たいのではないか。くだんの文章をなんども行き来しつつ、では鶴見さんが、はっきりと書かなかったこととはなんだったのかを想像するのです。

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2021年6月 2日 (水)

このごろのこと

静かに暮らしたいなぁ
と思う。毎日、思う。ただそれだけ。
とはいえ、ここはいつも静かで、風と雨の音、あと私鉄の電車の音ぐらいしか聞こえません。夜ともなれば、人の足音もめったにしない。
それでもーー
静かに暮らしたいと
思うのであるならば、いったいなにが騒々しいというのだろうか。
と、自分自身に問う。
うまく言えない。言い切れないのです。一方通行のでっかい声がわれさきに交差点をすっ飛んでいき、路地と小さな辻には踏みにじられた者たちが転がり、腐臭が吹きだまっていくありさまを、どう言うべきか。

草創期の社会主義運動に身を投じた九津見房子という名前を知ったのは、かんらん舎の大谷芳久氏が書きつづける「時に抗いし者たち」(同人誌『一寸』)のなか。副題「私の小菩薩峠」のとおり、歴史に刻まれなかった者たち(できごと)の話は、どこまでも果てないのです(まだまだつづくよ)。
鶴見俊輔のエッセイ「秋山清」(『詩と自由』所収、思潮社)を読んでいたら、ふいにこの名に出くわしました。
親しかった秋山清についての回想。
「秋山さんにはじめて会ったのは、一九九五年年十一月二十八日、石川三四郎の通夜のときだった」
のち「石川三四郎をしのぶ会を、大沢正道、家長三郎とともに、四谷の主婦会館でひらいた」。いつだったかは記されていない。
「そこで私は、うわさにだけ聞いていた九津見房子が来ていることを知り、その人をはじめて見た」という。
彼女に関する記述はそれのみ。印象やら容姿にも、一切触れていません。
それでも、わたしのなかに、どこかの辻でいつかの人にばったり出くわした鮮やかな像が写しだされる。なんだか懐かしく、すこしうれしく、彼女に軽く会釈をしたような感じ、です。時間を超える出会いというのは、どうやらあるらしい。

 

 

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