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2021年6月 2日 (水)

このごろのこと

静かに暮らしたいなぁ
と思う。毎日、思う。ただそれだけ。
とはいえ、ここはいつも静かで、風と雨の音、あと私鉄の電車の音ぐらいしか聞こえません。夜ともなれば、人の足音もめったにしない。
それでもーー
静かに暮らしたいと
思うのであるならば、いったいなにが騒々しいというのだろうか。
と、自分自身に問う。
うまく言えない。言い切れないのです。一方通行のでっかい声がわれさきに交差点をすっ飛んでいき、路地と小さな辻には踏みにじられた者たちが転がり、腐臭が吹きだまっていくありさまを、どう言うべきか。

草創期の社会主義運動に身を投じた九津見房子という名前を知ったのは、かんらん舎の大谷芳久氏が書きつづける「時に抗いし者たち」(同人誌『一寸』)のなか。副題「私の小菩薩峠」のとおり、歴史に刻まれなかった者たち(できごと)の話は、どこまでも果てないのです(まだまだつづくよ)。
鶴見俊輔のエッセイ「秋山清」(『詩と自由』所収、思潮社)を読んでいたら、ふいにこの名に出くわしました。
親しかった秋山清についての回想。
「秋山さんにはじめて会ったのは、一九九五年年十一月二十八日、石川三四郎の通夜のときだった」
のち「石川三四郎をしのぶ会を、大沢正道、家長三郎とともに、四谷の主婦会館でひらいた」。いつだったかは記されていない。
「そこで私は、うわさにだけ聞いていた九津見房子が来ていることを知り、その人をはじめて見た」という。
彼女に関する記述はそれのみ。印象やら容姿にも、一切触れていません。
それでも、わたしのなかに、どこかの辻でいつかの人にばったり出くわした鮮やかな像が写しだされる。なんだか懐かしく、すこしうれしく、彼女に軽く会釈をしたような感じ、です。時間を超える出会いというのは、どうやらあるらしい。

 

 

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