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2021年7月

2021年7月25日 (日)

幽霊船の出港

東京オリンピックを招致した主役たち(マリオこと安倍晋三首相、竹田恒和JOC会長、猪瀬直樹東京都知事、森喜朗大会組織員会会長の4氏。いずれも肩書きは元)がそれぞれの事情で、開催を待たずに散り散りに表舞台を去っていきました。
で、開催イベントの顔だった音楽担当の小山田圭吾氏、舞台監督の小林賢太郎氏が、あろうことか大会直前に姿を消すことになった。ついでに文化プログラム出演者の絵本作家、のぶみ氏も。すっかり忘れていたけれど、選考の末、大々的に発表されたエンブレムと国立競技場の設計の白紙撤回という、見苦しいできごともありましたっけ。
一方で、経費は予定額を踏み倒して膨らみつづけました。おそらく、次代にツケを回すことになる。どうみても組織や事業が統治されている状態にはありません。
これだけ問題が重なれば、ふつうならば事業は継続できない。航海ならば、とうに船は沈むか難破しているはずです。
それでも、東京オリンピックは航路を変更することなく、予定通りに出港しました。まるで幽霊船です(不死鳥とはいいいません)。

立ちどまって考えたいのは、得体のしれないこの幽霊船がどこからやってきたのか、いつから幽霊船になってしまったのか、です。
アルゼンチンのブエノスアイレスで開かれたIOC総会で、東京への承知が決定したのは2013年9月のことです。
東日本大震災が、その2年半前に起きていました。震災の翌年、総選挙で大勝した第二次安倍政権が発足しています。

震災が起きたとき、すでに機能不全だった民主党政権が立ち往生していた難題がたくさんありました。年金制度、長引くデフレ、格差と貧困、不安定雇用の定着、自然を搾取するだけの大型公共工事の乱発、情報公開、総務省による電波メディアへの許認可制度と記者クラブ制度など。戦後続いた、暮らしや情報のあり方に対する「当たり前」が深刻な制度疲労をおこしていました。
生活不安を一掃すると期待された民主党の改革(正確には制度設計の入り口までは、とても行き着かなかったのだけど)は、しかし、なんら果実をもたらさない。そこに登場したのが、安倍さんです。安倍さんは、勢いよく「成長」をぶちあげました。身もふたもない言い方をすれば、景気さえよくなりゃ日本はもとの経済大国にもどるでしょ、です。

実現の手段が「アベノミクス」です。
経団連の中核をなす大企業が潤うことが、まず優先されました。アベノミクスは、円安を誘導し、株価を引き上げました。そのうちトリクルダウンがはじまるという筋書きでした。実生活と切り離された景気回復の数字が踊り、メディアは「成長」を連日伝えました(のっかったともいう)。安倍神輿の目玉としてやってきたのが、オリンピックの招致活動でした。
安倍さんは、彼を支持した一部国民だけのために、彼らが見たがっていたものを、じつにわかりやすく見せてあげたのです。すなわち、「つよい日本」の象徴である「東京オリンピック」がそれでした。

つまり、東京オリンピックというのは、アベノミクス的な虚構そのものであり、「見たいものだけ見る」という日本人の願望が、いびつに肥大化したものです。アベノミクスは、すでに蔓延しつつあった「見たいものだけ」の風潮をより明らかにし、「分断」を鮮明にしました。

東京オリンピックの開催が、コロナという不測の事態によって苦境に立たされたというのはまぎれもない事実ですが、大会役員のポストを去った方々がはからずも露呈させてしまった「見たくないもの」(人権意識や差別の問題)は、そもそもが、はじめからそこにあったのです。コロナがもたらした不運などではありません。まぎれもなくその船は、出港したときからすでに幽霊船だったのです。

 

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2021年7月18日 (日)

桂川潤さんのこと

業界で名の通った桂川潤さんの仕事を、わたしはそのときまでまるで知りませんでした。同じ沿線の住宅地で開かれた装丁展に出かけたのは、たしか一昨年です。
会場は、親しい個人宅の離れで、のんびりとしたものでした。机にかなりの数の本が並べられ、本人が立っておりました。一冊ずつ手にとって開いて回り、感じたことがありました。
この人はきっと「装丁」とはなにか、書籍とはなにかを始終考えている、ということでした。しゃれたパッケージをつくるというより、テクストを表にどう引っ張り出すか、試行錯誤してきた跡が、たしかに見えてくるのです。

急に思いつき、リュックから『おぎにり』をとりだしました。
で、不躾は承知で、本人に直接、この詩集のカバーリニューアルをお願いすることは可能かを打診してみたのでした。
桂川さんが目にとめたのは版元でした。
「未知谷さんですか……」
「ええ、売れないのを承知でなぜか引き受けてくれたのです」
「版元さんは、その本に(売り上げ以外の)なにかがないと引き受けてはくれませんよ。たいへん、ていねいなつくりですね」
「和紙張りにしてくれました」
そんな会話をしました。ひとしきり話してから、急な申し出を快諾してくだった桂川さんは、名刺と自著のエッセイ集『装丁、あれこれ』(彩流社)をくれました。
「要らぬコストをかけずに、どのようなリニューアルが可能か、知恵を絞ってみます」
その日の返信メールには、こうありました。

SNSを通じて知る桂川さんは、一箱古書市はじめ本に関わるさまざまなイベントに労をおしまず飛び出していく行動派の「本の虫」でした。よく現場に出没し、自分の意識になにかを加えていました。
『装丁、あれこれ』のオビに故・加藤典洋氏が記した
「装丁家は本のため/何といろいろなことを考えるものか。/その不器用さが思想家のようだ。」
を地でいく、まさに「考える人」でした。デザインのみならず、本にまつわる実情を総合的、かつ有機的にとらえることができる稀な人でもありました。その意味で、優れた批評家でした。著作や多くのエッセイの文体は、簡潔で明朗です。
さらに、わたしていどの知り合いにもときおり呼びかけをしてくださる、たいへん気遣いの方でもありました。

桂川さんの仕事に注目しはじめ、その考え方や本に接する態度に、わたしは強く共感しました。いつしか、『おぎにり』のカバーリニューアルと抱き合わせで、2冊目の詩集のデザインはまるごと桂川さんにお願いしようと考えるようになりました。もちろん、版元に相談してその費用は自分で持つつもりでした。

昨年のいつごろだったか。練馬区立美術館の一室でクロッキーをやったあとにロビーに出ると、偶然にも桂川さんの姿がありました。忘れもしない、背筋がとおったすらっとした風貌でした。
小さな1人用テーブルに座った桂川さんは、その背中を小さくまるめて熱心に書きものをはじめました。展示に関する意見か、個人的なメモか分かりませんが、すぐには終わりそうもありませんでした。
じゃまになるかと思ったわたしは、背中に無言であいさつして美術館を立ち去りました。お見かけした最後が、それでした。
どうして、ひとこと声をかけなかったんだろうか、といまだに悔やまれます。

twitterのタイムラインで、訃報を知ったときは、ほんとうにおどろきました。
ちょっと早い。早すぎます。もっと本の世界にいてほしい方でした。
つかの間のおつきあいでしたが、出会いに感謝いたします。ほんとうに、お疲れさまでした。ご冥福をお祈りいたします。

ところで桂川さん、装丁の打ち合わせはどうしたらいいでしょうね……

 

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2021年7月 8日 (木)

このごろのこと


中国地区の豪雨が気にかかり、災害情報がないかNHKをつけました。
と、ちょうど緊急事態宣言に対する総理会見が始まるところでした。
オリンピックの開催は「未来を担う子どもたちに夢や希望をあたえる」という長いあいさつもふくめ、40分ほど観てしまいましたが、時間の無駄でした。


記者の質問によって明らかになることが、一つとしてないのです。
まずスガさんが、質問にまともにこたえない(こたえられない)。記者は再質問をしない。どの記者が出てきてもおなじです。
そもそも、準備している質問そのものが、政府が言わないこと、言えないことに切り込んでいません。スガさんが告知したいことを、記者が推し量っているとしか思えない質問がとても多い。政局のことなんかいいんだよ。


このコロナ対策やオリンピック開催にまつわる混乱で明らかになったことのひとつが、役に立たない日本のマスメディアの本質。彼らは、権力の補完勢力であることにまるで自覚がない。まさに存在意義を問われるその厳しい現実に、たぶんメディア人は危機感を感じていない。
観ていてことさら嫌だなと思ったのは、毅然としたところがない質問の態度です。


もし、メディアに興味のある若い学生さんなどに質問されたならば、わたしは、記者会見を観る時間があったら、野党の国会質問を観る時間をつくったほうがいいですよ、とすすめるでしょう。真剣さ、質問の技術、準備している情報のどれをとっても、共産党の議員の方が数段上です。勉強できること、考える材料は、政治部の記者さんよりもたくさんもらえます。
でももっと見てほしい大事なことは、言論の府で顔をさらして、真剣勝負するする姿です(たたずまいだよね)。

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2021年7月 5日 (月)

このごろのこと


よく降ります。激しく降ります。
梅雨前線が列島にかかるころの「長雨」という言葉は、あまりに極端なこの天候をあらわすのには、とても足りない気がします。
熱海の湾を見下ろす山の手の住宅街を、まさに怒濤のごとく滑り落ちた土石流の映像には、ただ唖然としました。


いまや地球規模の異常気象を認めない人は、まずいないでしょう。
でも、その危機が自分ごとであるかどうかは、別の問題なのかもしれません。地下資源をひたすら掘り起こし、地中にあった二酸化炭素を大気中に放出しまくる経済活動に、歯止めがかかる気配はありません。新手のウィルスの出現と拡散も、自然と人間の接近がもたらした一つの現象で、人の目に見えないところで、さまざまな異変はからまりつながっている。


根拠を証明せよ
との反論は、必ずあります。
もっともです。
ただね、現実にそんな時間的な余裕があるのでしょうか。
考えられる可能性を一つだけつぶすにしても、一世代で間に合わないのは明らかです。複雑にからみあった環境の破綻を食い止めるには、とても至らない。次の世代が、いまのわたしたちが想像もしなかった脅威に直面する可能性は大きいと、言わざるをえない。
かの土石流だって、一世代前の住民は想像だにできなかったはずなのです。人の想像力は、その深刻さにもうすでに追いついてはいないのです。

オリンピック会場に観客をいれるかどうかの話が大詰めです。感染拡大の根拠があるとかないとか。そんなの、どうだっていいよ…… 想像してごらんって。

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2021年7月 1日 (木)

このごろのこと


ずっと懸案だった「課題」が、ようやく片づきました。先週の日曜日のこと。ひと晩寝たら急に体がぐったりしてしまい、なかなか回復しません。いまもまぶたが閉じそうです。
ひと仕事に手をかけるかどうか、きっかけを待っていたら、とうとう機を逸してしまったということが、ままあります(たくさんある)。
さりとて、やらないままで通り過ぎたとしても、それはそれで困ることもないわけです。あとになって、もしできたとしたら、あのときだったか……と、思うぐらい。


人生の多くの課題は、大なり小なりそんなもんで、わたしのような凡庸な人間には、絶対に避けて通れないものなどそう多くない気がします。
避けて通ってもいいのだけども、まぁやってみるかと思い立つことって、案外少ない。それを縁というのかどうか。
ともあれ、そんな石ころみたいな「やろうかなぁ」が、足もとにコロコロ転がっているわけです。たいてい、そいうのは損得には関係ないことだったりします。でも、石ころを蹴ってみたり、手にとったりすることが、実は人生の岐路だったりする。
塞翁が馬。きっと棺に入るとき、それがわかるのでしょう。


ついでにいえば、「片づいた」などと言ったものの、結果は上出来といえるものではありませんでした。
それでも、やるだけやったという安堵があります。どうじに、うまくいかなかった自分の力量を受け容れる「あきらめ」もあります。許しとはこうやって自分で手にするものかと、思ったりもします。
でね、課題がひとつ片づくと、それまでぼやけていた次の課題が目の前に立っている。

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