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2021年7月18日 (日)

桂川潤さんのこと

業界で名の通った桂川潤さんの仕事を、わたしはそのときまでまるで知りませんでした。同じ沿線の住宅地で開かれた装丁展に出かけたのは、たしか一昨年です。
会場は、親しい個人宅の離れで、のんびりとしたものでした。机にかなりの数の本が並べられ、本人が立っておりました。一冊ずつ手にとって開いて回り、感じたことがありました。
この人はきっと「装丁」とはなにか、書籍とはなにかを始終考えている、ということでした。しゃれたパッケージをつくるというより、テクストを表にどう引っ張り出すか、試行錯誤してきた跡が、たしかに見えてくるのです。

急に思いつき、リュックから『おぎにり』をとりだしました。
で、不躾は承知で、本人に直接、この詩集のカバーリニューアルをお願いすることは可能かを打診してみたのでした。
桂川さんが目にとめたのは版元でした。
「未知谷さんですか……」
「ええ、売れないのを承知でなぜか引き受けてくれたのです」
「版元さんは、その本に(売り上げ以外の)なにかがないと引き受けてはくれませんよ。たいへん、ていねいなつくりですね」
「和紙張りにしてくれました」
そんな会話をしました。ひとしきり話してから、急な申し出を快諾してくだった桂川さんは、名刺と自著のエッセイ集『装丁、あれこれ』(彩流社)をくれました。
「要らぬコストをかけずに、どのようなリニューアルが可能か、知恵を絞ってみます」
その日の返信メールには、こうありました。

SNSを通じて知る桂川さんは、一箱古書市はじめ本に関わるさまざまなイベントに労をおしまず飛び出していく行動派の「本の虫」でした。よく現場に出没し、自分の意識になにかを加えていました。
『装丁、あれこれ』のオビに故・加藤典洋氏が記した
「装丁家は本のため/何といろいろなことを考えるものか。/その不器用さが思想家のようだ。」
を地でいく、まさに「考える人」でした。デザインのみならず、本にまつわる実情を総合的、かつ有機的にとらえることができる稀な人でもありました。その意味で、優れた批評家でした。著作や多くのエッセイの文体は、簡潔で明朗です。
さらに、わたしていどの知り合いにもときおり呼びかけをしてくださる、たいへん気遣いの方でもありました。

桂川さんの仕事に注目しはじめ、その考え方や本に接する態度に、わたしは強く共感しました。いつしか、『おぎにり』のカバーリニューアルと抱き合わせで、2冊目の詩集のデザインはまるごと桂川さんにお願いしようと考えるようになりました。もちろん、版元に相談してその費用は自分で持つつもりでした。

昨年のいつごろだったか。練馬区立美術館の一室でクロッキーをやったあとにロビーに出ると、偶然にも桂川さんの姿がありました。忘れもしない、背筋がとおったすらっとした風貌でした。
小さな1人用テーブルに座った桂川さんは、その背中を小さくまるめて熱心に書きものをはじめました。展示に関する意見か、個人的なメモか分かりませんが、すぐには終わりそうもありませんでした。
じゃまになるかと思ったわたしは、背中に無言であいさつして美術館を立ち去りました。お見かけした最後が、それでした。
どうして、ひとこと声をかけなかったんだろうか、といまだに悔やまれます。

twitterのタイムラインで、訃報を知ったときは、ほんとうにおどろきました。
ちょっと早い。早すぎます。もっと本の世界にいてほしい方でした。
つかの間のおつきあいでしたが、出会いに感謝いたします。ほんとうに、お疲れさまでした。ご冥福をお祈りいたします。

ところで桂川さん、装丁の打ち合わせはどうしたらいいでしょうね……

 

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