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2021年9月 2日 (木)

絵をもらう


その昔、仕事場としていた部屋の大家さんが、久しぶりに電話をくださった。
「あなたに、もらってほしものがあるんだけど。いつ、こられる?」
二階にあった仕事場の真下が、大家さんの喫茶店でした。御年91歳。とうとう店を閉めるという。で、店のものを処分しているというのです。


駅の外に出るともう陽が落ちていました。
そこから喫茶店までの道は、10年ほど前、自転車で毎日通ったものでした。ときに、ぶちとも歩いた。懐かしいと同時に、ほろ苦い季節でもありました。
月刊誌を中心に仕事をしながら、書籍をこつこつと書くというーー豊かではないけど、かろうじて暮らしていけるーー暮らしの土台が、ガラガラと崩壊した時期でした。
焙煎機から立ちのぼるコーヒーの香りが窓から流れ込んでくる。その匂いに包まれた部屋で、「なんとかなる」「道はかならず見つかる」と、来る日も来る日も自分に言い聞かせていた悲壮感が、ありありと蘇ってくるのです。
どうにもならないこともあるーー
と、現実を認める余裕は、そのころの自分にはとてもなかったのです。人生には、勝ちか負けのどちらかしかなかった……
わたしも、若かったのです。


すっかり片づいた店の壁に、れいの絵が架かっていました。
そういえば、あったなぁ
「もらってくれるでしょ? あなた、自分ではずしてちょうだい」
大家さんが言いました。津軽の故伊藤正規画伯の小品で、陶器にリンゴが3つ入っている。器の正面に描かれた一羽の鳥の黄色が、なんだか無邪気なのです。そして、氏の絵にしては珍しい金地。
まさに、この真上の部屋を借りていたとき、ある企業の広報誌に一話読み切りの紀行文を連載しておりました。津軽篇のとき、五所川原の画伯の絵のことに触れました。なぜかといえば、目の前の椅子に座って、この絵をほぼ毎日眼にしていたからなのです。


片づけをしていて偶然そのときの読み物を見つけた大家さんは、つい読みふけってしまったそうです。で、読み終えてすぐに、あの電話をかけてくださったのだと。
紙袋に入れた絵を抱えて、家の最寄り駅にたどり着いてみると、土砂降りでした。
よりによって、こんなときになぁ
どうしたものかと、駅舎のガラス窓越しに暗い空をぼうっと眺めていたら、いつの間にか、あの部屋の窓辺に立って雨を眺めているような気になっていました。
時間を巻きもどすことなんか、できるはずもないのに。巻きもどしたいとも、思ったこともないのにーー
なぜか過去に引っ張られるのです。

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