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2021年10月

2021年10月27日 (水)

長岡駅で

ほんとうに久しぶりに遠方に取材にでかけ、昨日家にもどったのだけど、荷をとく力が残っておりませんでした。3泊4日、向こうでの移動もあり、いく人かの関係者にも会ってきました。
もうこういうことも、じきにできなくなるだろうな。
もどるなり、そう思ったのでした。

長岡に2日間滞在しました。
駅構内が酒のテーマパークのようで、日になんどかあっちからこっちへと構内を横断するのですが、そのたび足がとまってしまう。
くだんの場所は、「ぽんしゅ館」というんですが、改札近くの良寛像にとがめられて未練がましく立ち去ります。
夕方、すべての仕事が終わると、ぽんしゅ館をぶらりとひと回りして、奥にある利き酒スタンドの暖簾をくぐってしまう。500円でコイン5枚を購入し、おちょこをひとつもらいます。で、新潟県下の酒がずらりならぶ自動販売機から、好きなものを選ぶのです。5種の酒が味わえる。観光の人たちがたのしげに語らっているのを、ぼんやりと眺め、さて次はなんにするかな……と思案するわけです。せいぜい15分ぐらいの道草ですが、ぜいたくな時間です。

酒がうまいこの街について、いろいろ考えました。それはまた今度。

 

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2021年10月19日 (火)

このごろのこと

十三夜の月の美しかったこと。
寒いさむいと思いつつ、昨夜はなんども窓を開けて、薄曇りのなかに浮かぶ月をひとり眺めましたっけ。

今夜の寒さは、きのうとは明らかにちがう。冷えた空気のなかに含まれれていた、いくぶんかの柔らかさが、もうどこにもないのです。雨の冷たいこと。雨音まで冷たい。
あぁ冬がくるのだな。
まちがいなく来るのだな。

JRのみどりの窓口に寄って、列車のチケットを買いました。帰ってから、旅行関係のウェブサイトを検索し、3日分の宿を予約しました。とりあえず最低必要限の準備はしたつもりです。
取材に出かけるのは、じつに久しぶりのこと。
この週末、越後はさらに冷えていることでしょう。新潟で1泊、長岡で2泊の予定。今回は、人と会うのも、そのための移動もけっこうせわしい。実りあれと祈るばかり。賽の目は、どうころがるやら。

 

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2021年10月16日 (土)

ディック・ブルーナの仕事場

小雨です。
傘がなくとも、まぁ大丈夫かというていどです。朝から書籍に関する作業をするつもりでしたので、空の調子はほどよいかも。晴天だと、外を歩きたくなってしまいますので。
書棚の本を抜き出して引用カ所をさがす、またはたぶんコピーしていたであろう紙資料を引っかきまわさいといけない。こういう「さがす」はわりと得意でないーーかもしれません。

またぶちが、部屋まであがってきました。さきほど、ドアの外でブッフッフと鼻を鳴らす音がしました。開けてみると、案の定つっ立っている。ここに来ても寝るだけだから、下にいるのと変わらないのに。
しかもここは、屋根のましたですから、夏は暑くて冬は寒い。
ここに越してきてからは、小さな机を椅子の前と後ろに置いています。ドアに向いたかなり狭い机にMacPC、比べてやや広い後ろ側には色鉛筆や筆などの画材。椅子を180度回させて、手書きの作業は後ろでやるのです。ぶちは机と机の間、椅子の足もとで寝てしまう。じゃまです。

書棚の一番下(ここは背高本の居場所)、一角に『芸術新潮』の古いものが詰まっています。背表紙を探したら、「特集 おとなのためのディック・ブルーナ入門」の文字がすぐに見つかりました(2004年3月号)。わたしは、おなじみのミッフィーのファンじゃないけども(もちろん嫌いじゃないよ)、この号で紹介された生前の仕事場の感じが好きで、たまに見返します。
ユトレヒト旧市街の小さな通り、築300年の建物の3階の屋根裏部屋は、天井がほどよく高い。観音開きの窓はさほど大きくないのですが、天窓もあって光がよく注ぐ。ひとつ気づきました。すわると頭ぐらいの高さに位置するその天窓を背に、彼のさほど大きくない机が置いてあります。文章作りに愛用するタイプライターを置いた別の小机はといえば、窓(天窓ではない窓)に向かってすわる向き。「描く」「書く」では、光の受け方が真逆でした。この配置には、きっと理由があるのでしょう。机や椅子、デスクライトはシンプルでどれも趣味がいい。
壁にはメモやいろいろなデザイン画が止めてありますが、雑然とも整然ともしていません。売れっ子デザイナーでしたが、彼はアシスタントを使いませんでしたから、この空間はまさしく彼ひとりの世界です。椅子にすわるブルーナ当人の姿が、この空間に溶けています。
この特集がすごくいいのは、ブルーナの自転車を2ページにわたり紹介していること。最初の1ページは、ぜいたくにも自転車だけを撮影した1枚の写真のみ。2ページ目に自転車を引くコート、マフラー姿のブルーナがいます。自宅から仕事場まで15分の距離を毎日彼は、この自転車で通うのだそうです。頑強でレトロ観漂う愛車は、イギリスのラレー社製。40年以上も乗っている(取材時は76歳)。2枚目の写真のエピソードがまたいいのです。
仕事場を訪問するアポイントを翌日にとっていたスタッフがユトレヒトの街を歩いていると、味のある自転車がわきを通りすぎていく。
「え、いまのブルーナさん!?」
とっさに声をかけて撮った一枚がこれなのだそう。
そのとき彼が言ったという。
「あれを背景に入れたどう?」
写真のストリートの奥に街のシンボル的な存在であるゴシック様式のドム塔が見えます。

デザインで世界的な成功をおさめたけども、彼は自分の手仕事を事業にはしませんでした。ずっと、描いたり、切ったり貼ったりと、手を動かしてグラフィックデザインをつくった。自転車で朝早く屋根裏の仕事場にやってきて、夕方早くに切り上げました。わたしにとっては、理想的な暮らしのスタイルをとおした人。


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2021年10月10日 (日)

『アイダよ、何処へ?』

〈シネマ手帖〉No56

ボスニア・ヘレツェゴヴィナ紛争の終結は、和解というより薄氷のパワーバランスの均衡によってもたらされました。国内に、セルビア人勢力が統治する広大なスルプスカ共和国が認められ、軍事境界線がその版図となったのです。ですから、その領土を占領するために起きた凄惨な出来事は、一方では正当化、もしくは記憶から消されようとすることになる。すなわち、「民族浄化などはつくりごとだ」と。サラエボで戦火を生きのびた監督のヤスミラ・ジュバニッチ氏はインタビュー(公式website)で、ほんの四半世紀前の歴史観をめぐる大きな相違を、危機感を持って語ります。
「私たちの政府にはスレブレニツァで起こった虐殺をいまだ否定するような右派の政治家(筆者注:スルプスカ共和国側の政治家を指すのでしょう)が多いのです。彼らは戦犯を英雄として語り、スレブレニツァで起こったことは集団虐殺にあたるというハーグ国際裁判所の判決を否定しています。このように政治もまた巨大な障害です」
「障害」とは、彼女の映画制作をはばむものという意味。制作支援を求める手を、彼女がヨーロッパ9カ国にまでひろげていったのは、そのためです。
20211010-140736 ボスニア・ヘレツェゴヴィナの東端、セルビアとの境界付近に位置する街・スレブレニツァが、映画の舞台です。
紛争勃発から3年の年月が過ぎ、国連が指定した安全地帯であった街がついにムラディッチ将軍が率いる武装セルビア人勢力に占拠されます。1995年7月のこと。
住民2万人が、郊外の国連施設に逃げ込もうとしました。しかし少数のオランダ軍が管理する、国連施設に全住民を囲い込む装備も食料もインフラもありません。ゲートはほどなく閉じられる。入りきらない相当数のボシュニヤック人(イスラム教徒)が保護を求めて門前に詰めかけます。ここから物語がはじまります。

国連施設で通訳として働くアイダは、セルビア人勢力との交渉、すし詰め状態の施設内の倉庫と、着の身着のままで平原で夜を明かす同胞への説明に忙殺されます。その合間に、夫と2人の息子の姿を探して基地内を駆けまわります。英語でオランダ軍に掛け合い、家族を抱きしめ、鼓舞し、鬼神のごとく気丈にたちまわる。
しかし、火急の軍事支援(空爆)に及び腰であった国連本部は、この局面でもついに動かず、オランダ軍はムラディッチ将軍の強硬な要求を拒むことができなくなくなる。押しかけた武装集団にとうとう門を開き、施設内の探索を許し、収容したボシュニヤックを一人残らず引き渡してしまいます。平原の住民もろとも、バスやトラックに追い立てられ、国連軍の付き添いもない「安全な場所への移送」が始まります。つまり、住民の末路を知りながら、国連軍はなにもできずに推移を黙認したことになります。
アイダは、上司となる司令官たちに必死にすがります。
「(国連軍の)避難者リストに夫と息子をたちを加えて!」
「あなたの家族だけ特別扱いはできない」
そのときは、刻々と、確実に近づきますーー。

スレブレニツァ・ジェノサイドは、戦後ヨーロッパの最大規模の集団虐殺事件で、住民8,000以上が組織的に処刑されました。
「人は道徳的規範が破られたとき、また人間たらしめるものすべてが壊されたとき、互いにどう振る舞うのか? これはボスニアやバルカン諸国についての話ではありません。人間についての物語であり、どうしても伝えなければならないという思いに私たちは駆られていたのです」(同ヤスミラ監督インタビュー)
重い言葉です。
ヤスミラ監督は、ボスニアで生まれ育ち、米国で人形遣いとして働き、ピエロの演技を学ぶという珍しいキャリアを持って帰国。映画制作をはじめます。ボスニア紛争をテーマにした「ボスニアの花」(2006年 ベルリン国際映画賞で金熊賞)、「サラエボ、希望の街角」(2010年)の制作を経て、かねてから構想を胸に持ち続けた本作にとりかかっています。 

(監督 ヤスミラ:ジュバニッチ/出演 ヤスナ・ジュリチッチ、イズデン・バイロヴィッチ他/ボスニア・ヘレツェゴヴィナ、オーストリア、ルーマニア、オランダ、ドイツ、フランス、ノルウェー合作/ボスニア語、セルビア語、英語/2020年/101分/カラー 新宿武蔵野館他)

 

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このごろのこと

このところ毎日、たまった宿題を一気にやっている感じ。
依頼の原稿をまとめたり(短いものだけど)、アポをとったり、ノートを整理したり。アポとりはまったく面識のない人ばかりで、たいてい手紙ですが、いい返事もあれば、そうでないものだって当然あります。いちばん疲労するのが、無視、素通りされること。まぁ、しかたないのです。先方には先方の都合がありますから。

おもしろいこと、ありませんなぁ。
たのしいこと、ありませんなぁ。
まぁ、しかたないのです。そんなことには関係なく、生きていかないといけないのですから。

涼しくなりました。
急に、ウィスキーが飲みたくなりました。
その昔、角川春樹事務所が角川ランティエ叢書というシリーズを刊行しました。1997年ですから、24年前です。文庫サイズなのにハードカバーなのです。刊行当時、手にとった率直な感想が、だれが買うんだろうかこんなもの、でした。
ところが、いまになって古書で良品を見てみると、しゃれた造本なのですね。凝っております。本として美しい。ウィスキーを片手に、ページをめくりたくなる。
シリーズのひとつに『スコッチと銭湯』(田村隆一)があります。散文のセレクトがまずいい。目次がいい。
とはいえ、読んでもまぁ、これという紹介したいセンテンスはありません。タイトル通り、田村節によるスコッチだとか湯屋の迷走話ばかり。まぁ、仕方ないのです。

 

 

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