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2021年10月10日 (日)

『アイダよ、何処へ?』

〈シネマ手帖〉No56

ボスニア・ヘレツェゴヴィナ紛争の終結は、和解というより薄氷のパワーバランスの均衡によってもたらされました。国内に、セルビア人勢力が統治する広大なスルプスカ共和国が認められ、軍事境界線がその版図となったのです。ですから、その領土を占領するために起きた凄惨な出来事は、一方では正当化、もしくは記憶から消されようとすることになる。すなわち、「民族浄化などはつくりごとだ」と。サラエボで戦火を生きのびた監督のヤスミラ・ジュバニッチ氏はインタビュー(公式website)で、ほんの四半世紀前の歴史観をめぐる大きな相違を、危機感を持って語ります。
「私たちの政府にはスレブレニツァで起こった虐殺をいまだ否定するような右派の政治家(筆者注:スルプスカ共和国側の政治家を指すのでしょう)が多いのです。彼らは戦犯を英雄として語り、スレブレニツァで起こったことは集団虐殺にあたるというハーグ国際裁判所の判決を否定しています。このように政治もまた巨大な障害です」
「障害」とは、彼女の映画制作をはばむものという意味。制作支援を求める手を、彼女がヨーロッパ9カ国にまでひろげていったのは、そのためです。
20211010-140736 ボスニア・ヘレツェゴヴィナの東端、セルビアとの境界付近に位置する街・スレブレニツァが、映画の舞台です。
紛争勃発から3年の年月が過ぎ、国連が指定した安全地帯であった街がついにムラディッチ将軍が率いる武装セルビア人勢力に占拠されます。1995年7月のこと。
住民2万人が、郊外の国連施設に逃げ込もうとしました。しかし少数のオランダ軍が管理する、国連施設に全住民を囲い込む装備も食料もインフラもありません。ゲートはほどなく閉じられる。入りきらない相当数のボシュニヤック人(イスラム教徒)が保護を求めて門前に詰めかけます。ここから物語がはじまります。

国連施設で通訳として働くアイダは、セルビア人勢力との交渉、すし詰め状態の施設内の倉庫と、着の身着のままで平原で夜を明かす同胞への説明に忙殺されます。その合間に、夫と2人の息子の姿を探して基地内を駆けまわります。英語でオランダ軍に掛け合い、家族を抱きしめ、鼓舞し、鬼神のごとく気丈にたちまわる。
しかし、火急の軍事支援(空爆)に及び腰であった国連本部は、この局面でもついに動かず、オランダ軍はムラディッチ将軍の強硬な要求を拒むことができなくなくなる。押しかけた武装集団にとうとう門を開き、施設内の探索を許し、収容したボシュニヤックを一人残らず引き渡してしまいます。平原の住民もろとも、バスやトラックに追い立てられ、国連軍の付き添いもない「安全な場所への移送」が始まります。つまり、住民の末路を知りながら、国連軍はなにもできずに推移を黙認したことになります。
アイダは、上司となる司令官たちに必死にすがります。
「(国連軍の)避難者リストに夫と息子をたちを加えて!」
「あなたの家族だけ特別扱いはできない」
そのときは、刻々と、確実に近づきますーー。

スレブレニツァ・ジェノサイドは、戦後ヨーロッパの最大規模の集団虐殺事件で、住民8,000以上が組織的に処刑されました。
「人は道徳的規範が破られたとき、また人間たらしめるものすべてが壊されたとき、互いにどう振る舞うのか? これはボスニアやバルカン諸国についての話ではありません。人間についての物語であり、どうしても伝えなければならないという思いに私たちは駆られていたのです」(同ヤスミラ監督インタビュー)
重い言葉です。
ヤスミラ監督は、ボスニアで生まれ育ち、米国で人形遣いとして働き、ピエロの演技を学ぶという珍しいキャリアを持って帰国。映画制作をはじめます。ボスニア紛争をテーマにした「ボスニアの花」(2006年 ベルリン国際映画賞で金熊賞)、「サラエボ、希望の街角」(2010年)の制作を経て、かねてから構想を胸に持ち続けた本作にとりかかっています。 

(監督 ヤスミラ:ジュバニッチ/出演 ヤスナ・ジュリチッチ、イズデン・バイロヴィッチ他/ボスニア・ヘレツェゴヴィナ、オーストリア、ルーマニア、オランダ、ドイツ、フランス、ノルウェー合作/ボスニア語、セルビア語、英語/2020年/101分/カラー 新宿武蔵野館他)

 

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