考えごと

2022年5月16日 (月)

「国民の権利及び義務」


売れるものには価値があり、売れないものには価値がない。市場はニーズを価格に反映し、需給のバランスを調整します。
どっぷりと市場に漬かっていると、価格と価値のちがいが分からなくなってきます。
価値には、基準や規格はなじみません。自分とモノとの関係性によるから。価値はだれものものでもなく、究極的にはわたし個人のものです。
価格はそうでない。市場という公共のものです。
マーケティングでは、人が数になります。数が、人を代弁します。市場と目が近くなりすぎると、人は人でなくなっていく。

憲法第十三条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

つまり、人は数でなくって個人であっていい。個人が個人でいられる社会でなくてはいけない。もし、そうなっていなのならば、これを正すのは国家の大切な役割。
第十三条をふくむ憲法第三章が記すのは「国民の権利及び義務」です。十条から四十条まであります。どれも簡潔。

第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

第二十三条 学問の自由は、これを保障する。

第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

なにが問題なのだろうか。問題のありかはどこだろう。いま起きていることってなんなのだ。あの人の言うことは、どこかうさんくさいのだけど。
状況が見えにくかったり判断に迷ったら、わたしはときどき「国民の権利及び義務」を読み返してみる。案外すっきりと、思考の整理がついたりします。

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2022年5月 8日 (日)

時間を逆行するための戦争 あるいは狂気

ロシアが軍事侵攻をはじめた2月24日、絶望的な気持ちになったわたしの胸によみがえってきた、ある場面がありました。
3年ほど前であったと思います。
つきあいで、暮れにカラオケ店に入ったことがありました。仕事でたまたま見知ったロシア人男性が一緒でした。わたしと同年配。ひとりが、そのロシア人男性に、加藤登紀子さんの「百万本のバラ」を歌わないかと持ちかけました。歌う、歌わないというやりとりの後、歌をすすめていた人がわたしの方をふり返って、「これってロシアの曲だろう、そうだよなあ」と聞いたのでした。
「ロシア人の歌手が歌っていたのはまちがいないのですけど、原曲はラトビアの歌だそうです。加藤登紀子さん自身も、そうおっしゃっています」
たまたま知っていた豆知識。
腑に落ちない顔の相手は、またロシア人男性に向きなおる。
「ロシアの歌だよね。こいつまちがえてるんですよね」
べつにどっちでもよかったけど、こうつけ足しました。
「ネットで簡単に検索できますので、興味があるなら調べてみてください」
と、そのときロシア人男性の顔色が変わりました。
「ラトビアはソヴィエトです!」
極力声を抑えてはいましたが、激高の色が見てとれました。
20代前半でソヴィエト崩壊に遭遇した彼が、熱心な現大統領プーチンと、粛正と絶対独裁を自らの死まで続けたスターリン共産党書記長の信奉者であるのを知っていたわたしには、声を荒げた理由が瞬時にわかりました(2014年当時、クリミア併合の正当性を興奮気味に語られたこともありましたっけ)。周囲はといえば、たまたま酒の場で声が大きくなったぐらいにしか、聞こえなかったようです。

15連邦で構成した巨大国家崩壊の序章に登場するのは、連邦の西端にあった小国のひとつエストニアでした。そのとき、ニュースに接したほとんどの人は、エストニアがどこにあるのかすら知らなかったでしょう。わたしもそう。
経済の疲弊と政治の混迷が決定的になった1988年、虚を突いたかのようにエストニアが国家としての主権を宣言するのです。まさか3年後にソヴィエトが崩壊するとは、まだだれも予想できませんでした。1年4カ月ほど後、こん度は隣のリトアニアが主権を宣言、ラトビアもこれに続くわけです。じきにソヴィエト離脱の波紋は南コーカサスのジョージアにも波及し、ドミノ倒し状態となる。ロシアのもとに最後まで残ったのはベラルーシ、ウクライナのみ。ロシアにとっては、リスほどに小さなバルト3国が、未曾有の国家解体の第一手を打ったことになります。
ちなみに、3国はそろって2004年にNATOに加盟、その1ヶ月後にはEU加盟も果たしました。

「ラトビアはソヴィエトです!」を目の当たりにしたとき、わたしはなかばあっけにとられ、なかば正体不明の「いやな感じ」を覚えたのでした。その歌の起源は、ラトビアなどという固有の風土であってはならなのです。ソヴィエトの一部、ソヴィエトの辺境でなければないのです。
ソヴィエト時代の教育で育った多くの人が、彼のごとくいまだ1991年以前の時間を生きているとすれば、ソヴィエトはまだ崩壊などしてないと、言っていいのかもしれません。国家解体という疑いようのない現実と、われわれの国家は強大であるとの強烈な自意識とのギャップは、なにかひとつまちがえば、いびつな形をなすのではないか。それこそが、「いやな感じ」の核心にあったものでした。
この2月24日、怒気をふくんだ彼の声がこうリフレインした気がしたのです。
「ウクライナはソヴィエトです!」

ちかごろになって、はっきりわかったことがあります。
ウクライナ侵攻をはじめたロシアは、ソヴィエトの残骸だと思っていたけれど、そうではない。ソヴィエトそのもの。
ソヴィエトは、消滅などしていなのです。さらに、徹底した情報統制と教育により、いまも再生産され続けている。
亡き者が、幻としてではなくそこに存在するには重要な条件があります。そこが、過去(生前)であることなのです。ところが、ソヴィエト以外の国が、現在の時間のなかにいるという矛盾を、いやでも突きつけられる。
ソヴィエトにとって、それが耐えがたい苦痛であるのは、想像にかたくない。
ならば、みずからが世界を過去に塗りなおすしかないのです。あるいは、自分たちが存在可能な時間のなかに、だれも戻ってこないというならば、引きずりこむしかないのです。
はたして、世界を過去に引きずっていくための戦争ーーに、出口などあるんだろうか。大統領プーチンと多くの国民は、本気で戦争によってそんな妄想が達成されると思っているんだろうか。

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2022年4月 1日 (金)

考えてみればーー

考えてみれば、重要なできごとは、たいてい向こうからやってきた気がします。大切な人もそうでした。
思いがけず遭遇します。
わりと、ぼうっと生きてきたのだと思います。具体的にこんな職業について、どんなことを達成したいとか、ひとの役にたちたいとか、そういうことはたいして考えませんでした。
小さいときから「こうありたい自分」を強く求めるということは、わき目も振らずにそこに向かっていくということです。まっすぐに。この社会では、「一途」は、見習うべき心がまえというのが、あたりまえです。首をかしげる余地がないのは、承知しています。でも、ちがう風景やほかの選択肢に目を向ける機会をみずから切り捨ててているともいえます。
考えてみれば、ずいぶん道草を喰いました。考えてみれば、道草はわりかし好きでした。

目標を持つ必要がないと言いたいのではありません。
無意識のうちですけども、自分がある交差点に立つのには、なにがしかの理由があります。そこで、未知のだれかや、できごとに遭遇したとき、ーーはためにはじつに瑣末なことに見えてもーーとりあえず引き受けてみる、おもしろがってみるのがいいのかもしれません。そのときはわからなくっても、なにかの意味があるかもしれない。結果としてそこで初めて、形になった「道」が見えてきたりするわけです。
もし、自分が求める一点だけしか見ていなかったら、そのできごとは素どおりするか、自分にはなんの利ももたらさないと判断して蹴っとばしてしまったでしょう。一途という姿勢は、無駄の余地がないのです。無駄っていうのは、案外無駄ではない(矛盾してるけど)。

ちょっと前だけど、将来なりたい自分をあきらめなければ「必ず夢はかなう」といった調子の講演ポスターを街で見かけ、そうなんかなぁと思ったのでした。
そもそも、「夢」って持たなきゃいけないのか。

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2022年3月27日 (日)

時間をかけて考えること


ウクライナでいま起きていることはなんなのかーー
つい考えてしまう。とはいえ、なにがなんだか思考と感情の区別もつかないままに、とっ散らかった状態です。電波メディアとウェブ上では、有象無象の情報だけが飛び交っています。
ロシア軍が、ウクライナに砲撃をはじめてとうとう1カ月が過ぎました。停戦の目処はつかないまま。裏返せば、世界はプーチン大統領の軍隊を止める手だてを持っていないことが、またもや明白になったのです(2014年のクリミア侵攻で証明されていたことだけど)。いまも避難できないウクライナの市民を救いたければ、停戦しか思いつかない。それはとりもなおさず、実質、ウクライナのロシア化を意味します。
では、日本人たるわたしが、いまの場所から発する「反戦」は、そういうこともふくむのか。わたしはそれを望むのか。
どのように、どこに向かって「反戦」を訴えるべきなのか。それすら、こたえがないのです。


テレビニュースは極力見ないようにしています。もし大きな力がこれに加わっているとすれば、知らずと引きずられてしまうから。
ウクライナの戦争を利用して、イデオロギーの拡散をもくろむ不可視の集団的総意が、視聴率が釣りあがる戦争報道を逃さないわけはないでしょう。
そろそろ声が大きくなってきたようです。「憲法9条でどうやって国を守るのか」転じて、「憲法改正が急務」、さらには「命をかけて国を守る」という合唱が。
アメリカの参戦に反対するマイケル・ムーアが、おなじことを言っておりました。テレビを極力見ないようにしていると。
アメリカの場合は、まず警戒すべきは宿痾といえる軍産一体の経済・政治システムの歯車が回りだすことなのでしょう。この動力は、すでにメディアに伝わっていると思ったほうがいいかもしれません。

大きな声に流されることなく、過去を頼りに考えるよりない。なんどでも自分に問いかけるよりないのです。
いまこの瞬間もウクライナの地で人々が死んでいる。それでも、こんなときこそ時間をかけた思索が必要です。信頼できる話者をあたり、そのテクストやインタビュー記事にあたり、言葉をよく噛もうとすることです。言語環境や立場、国籍のちがいはあれ、重要なことは必ず汲みれるはずです。決して性急に、こたえにたどり着こうとしないことです。
わたしに言えるのは、それだけです。


ロシアの作家ドミートリー・ブィコフ氏が、担当のラジオ番組「モスクワのこだま」で戦争批判を「2時間近くにわたって」語ったのは、そうとうに思いきったことだったでしょう。侵攻の翌日25日のことです。なにしろ平時でも情報統制が厳しいロシアが、戦時体制に突入した直後ですから。ロシア語翻訳者の奈倉有里氏が編訳した貴重なテキスト「戦争という完全な悪に対峙するーーウクライナ侵攻に寄せて」が岩波書店編集部の人文書担当者のサイト「なみのおと」で公開されています。たいへんありがたい。長いのは承知で、一部を抜粋します。

 

ロシアがどうやってこの戦争から抜け出すのか、そのときどうなっているのか、私にはわからない。おそらく、とても長い時間がかかるだろう。ロシアにとってこの戦争が、自国民との戦争になることは間違いない。すでにモスクワでも平和を訴えた人が1000人以上逮捕され、わずかに生き延びていた報道機関も制圧され、「戦争に反対する可能性がある」だけの人々の自宅にまで警察が押しかけて逮捕しようとしている。
(中略)
ロシア政府で権力を握った人間は、まさかこんなふうに世界中の人間を踏み躙り、すべての意味のあるものが意味をなくし──人を、神の探求も対話も芸術も、あらゆる価値あるものに取り組めない状態にし、ただ恐怖と憎しみに震える獣に変えてしまうような、そんな状態にすることが目的だったというのか。ほんとうにこんなことが目的なのか?! だがそんなことが可能になってしまったのは、権力側の人間があらゆる市民を、暴力を使えばどんなことでも言うことを聞かせられる存在だと思っているからでもある。

いま「こうするしかなかった」と言っている人々、「ロシアは敵に囲まれNATOに侵略されそうになっていたから戦争は避けられなかった」と言っている人々が、呪われるであろうことは間違いない。しかしどんなに呪ってもなにも救われないし、なにももたらされない。
(中略)
私たちは予想外のことが起きたかのように驚いている。私もまた、こんな戦争が起きてほしくないという一縷の希望にすがっていた。けれどもいまではその希望を恥ずかしく思う。何者かが「ガア」とアヒルのように鳴いたら、その正体はやはりアヒルなのだ。似ているのではなく、そのものなのだ。プーチン政権のやってきたことは、おそろしいほどすべてが、ここに向かっていた。憎悪の蔓延してきたここ8年のことだけではない、20年かけてここまで進んできた。


この放送局のその後については、のちに紹介するロシア人作家のミハイル・シーシキン氏が、こう伝えています。
「ひとつ前のnoteで公開していたブィコフの番組を放送していた〈モスクワのこだま〉と、サーシャ・フィリペンコが(作家になる前に)勤めていた〈ドーシチ(雨)〉の2局は弾圧により放送が禁止された。当初はインターネットに逃れて放送を続けていたが、日本時間の3月5日朝にはサイトもなくなり、YouTubeのアーカイヴもすべてが削除されていた。その後はテレグラム(アプリ)に移行する動きもみられたが、規制はとどまるところを知らず、路上で警官が通行人のスマートフォンの中身をチェックすることまでおこなわれている」

 


ベラルーシ政権の弾圧を避けて、ドイツで療養中のノーベル文学賞作家であるスヴェトラーナ・アレクシェービッチの「私たちははっきりと自覚しないといけないのは、もし皆で団結しなければ、私たちはせん滅させられてしまうということです」は、じつに強烈な言葉でした。当事国の市民だからこそ言える切実さがにじんでいます。NHKのオンライン・インタビューでの発言から、一部を引きます。

自国(ベラルーシ)の政権のせいで、自分たちのことを侵略者の仲間だと感じ、なおさらつらいです。本当につらい。自分がベラルーシ人だと言うことを恥ずかしく思うのは初めてです。
(中略)
ソビエト崩壊後、真の民主主義国家を作ったけれど、発展した経済もないし、家も道路も無い。足りないものばかり。それは西側のせいでしょうか。西側が私たちの代わりにすべてを作るべきだったのでしょうか。
70年余り、ソビエト時代の思想の下で暮らし、その思想に何百万人もの人々を放り込み、残ったのは集団墓地と血の海だけだったとしたら、そんなにすぐに変わることはできません。どこからか美しい家やすばらしい思想や立派な工場を持ってくることなどできません。それは無理です。そのためには時間(を:筆者注)かけて準備し、真剣に取り組まなければなりません。強い艦隊や新型の爆撃機、それに新型の戦車などを使うのは、最も原始的で時代遅れなやり方です。つまり、彼(プーチン大統領:筆者注)は未来へと進めなかった人間なのです。彼が私たちを連れて行こうとする先は彼が理解できる場所、つまり過去なのです。
(NHK NEWS WEB)

さきの作家ミハイル・シーシキン氏(母はウクライナ人、父はロシア人)は、ウクライナ侵攻に際して日本の読者のために寄稿をされました。現在の拠点はスイス。プーチン政権下での文学賞受賞を固辞した方です。テキストは書きだしから、痛切です。
「この戦争が始まったのは今ではなく、2014年だった。西欧はその後、ウクライナで続く戦争を直視しようとせず、なにもたいしたことは起こっていないというふりを装っていた。それから現在まで、私は講演や記事の執筆を頼まれたりするたびに、ロシアとウクライナでなにが起こっているのか、プーチン政権の恐ろしさを説明しようとしてきた。けれどもその声は世界に届かず、無念の思いに苛まれた。ところがいま、ついにプーチンは、自らその「恐ろしさ」を世界に証明してしまった。
私はロシア人だ……〔ここではあえてロシア人を名乗っている〕。私の故郷の名を用いて、プーチンは恐ろしい犯罪を犯した。プーチンはロシアではない。ロシアの人々はいま、つらく恥ずかしい思いでいる。私は故郷の名のもとに、ウクライナの人々に謝罪してまわりたい。けれどもどんなに謝っても謝りきれないことが起きてしまったこともわかっている」
すでに紹介した「なみのおと」で、過去に『すばる』(2014年6月号初出)と『新潮』(2015年8月号)に掲載されたロシア・ウクライナ問題の論考とあわせて公開されています。いずれも、いまひろく読まれてほしいと思います。
訳者はさきの奈倉有里氏。ここでは「文化はあらゆる壁を越えて続くーー2022」より一部を引きます。

 

プーチンの最も醜悪な点は、人々に憎しみの種を植え付けたところだ。今後たとえプーチンが政権を去っても、その憎しみは人々の心に根深く残るだろう。けれどもその憎しみの壁を越えられるものこそが、芸術と文学と文化なのだ。私益を肥やす醜悪な独裁者は遅かれ早かれ滅びるが、文化はあらゆる壁を越えて続く。これまでもそうだったし、プーチンが滅びたあとの世界もそうだ。文学はもはやプーチンなどというものについて語らなくてもいい。文化や文学は、戦争の真逆にあるべきもの、すべての人を愛でつなげるべきものだ。
(中略)
2014年、ロシアが国営放送を中心に、「ロシアは敵に囲まれているからいつどこから攻撃されてもおかしくない」「ファシズムに抵抗する戦争に備えなければならない」という被害者像と「大統領は善良である」という宣伝を同時に流し、自由な報道に対する制限を強め始めたとき、その政府見解を鵜呑みにする人はそう多くなかった。なにか恐ろしい情報操作がはじまっていて、荒唐無稽な政府広報が増えたということに対して人々は戸惑いつつも、独自の見解を持つ新たな独立系報道機関も生まれ、インターネット上には新世代のポータルもできてきていたから、そういうところから情報を発信し、受け取ることでまだ社会を変えられるのではないかとも思われた。

けれどもその動きから取り残され、テレビ以外の情報源を持たなかった人々がいた――中高年層が主だが、そういった家庭の子供もまた同じ環境にいた。そうしていつのまにか、学校では「戦争における勝利と軍隊の栄光ばかり」書き込まれた教科書で学び、家では「ゾンビ箱」と呼ばれたテレビと物心がついたころから共存してきた子供たちが、兵役にとられる時代がきていた。
(中略)

これまで長い時間をかけて真綿で首を絞めるように言論の自由が弾圧され、人権が無視され、憲法や選挙法が改悪され、歴史教科書が軍の勝利を賛美し、学校では「愛国心」を教えられ、軍隊が強化されてきた、その果ての戦争なのだと、あらためて思う。


奈倉有里氏のエッセイ集『夕暮れに夜明の歌を』から抜いたウクライナ・ロシア問題に関するテクストも、版元のイーストプレスのウェブサイトにて公開されています。第29章「灰色にもさまざまな色がある」は、ウクライナ育ちのアンドレイ・クルコフ氏の小説『灰色のミツバチ』をとりあげた文芸批評です。舞台は、親ロシア勢力とウクライナの紛争が勃発したウクライナ東部地域。グレーゾーンを明確に分かとうとする政治的な無理と残酷を、主人公の養蜂家を通して語っています。


これらを読み返していると、ある共通点に気づかされます。なんカ所かに、「憎悪」と「愛国」という言葉が出てくることです。あるいはそれを指す表現。それはこの戦争を考えるキーワードであり、コインの表裏なのかもしれません。

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2022年3月22日 (火)

「戦争反対」

戦争には絶対の悪も、正義もないでしょ。たがいに問題があるから戦争は起きるわけで。だからウクライナとてロシアに歩み寄るべき。でないと市民の犠牲は増えるばかり。このままじゃ戦争は終わらないよね。
さる知人に、このように話しかけられました。こういった意見、すでになんどか聞きました。みんなNATOとロシアとの安全保障の地勢図を語り、自分はロシアにもウクライナにも加担しない、と。なぜなら戦争を憎むから。しいて言えば、『戦争反対」だと言うのです。
わたしはこのとき、石になる。ただ沈黙するのです。
想像してください。無残に焼けくずれた街のなかでミサイル攻撃に脅えるウクライナの人々を。着の身着のままで、国境を越えて避難する人の群れを。るいるいたる無残な遺体を。彼らに向かって「戦争反対」という自分を。

その「戦争反対」は一見リベラルな見解で、もっともに聞こえます。ただそれには、すごく単純なことが、ひとつ抜け落ちている気がします。
ウクライナには主権というものがないのでしょうか。どのような国をめざすのか、どのような安全保障体制を選択するのかは、ウクライナの人々が決めることなのです。
それがロシアにとって、好ましいかどうかを、わたしたちが押しつけることなどできましょうか。
もしロシアが、ウクライナの将来像を変えたければ、ロシア自身がウクライナの人々が自分とおなじ政治体制、経済圏にあって、歩調をともにしたいと思える社会をつくればいいだけのこと。あるいは、そのように相手に思わせる対話を続けること。あくまでもそれは、ロシア(プーチン大統領)自身の問題であるはずです。

旧ソヴィエト連邦のエストニア、ラトビア、リトアニア、衛星国だったチェコ、ハンガリー、ポーランド、スロバキア、ブルガリア、ルーマニアといった国々が、EUになぜ加盟したのかという問いは、なぜロシアとおなじ体制に留まろうとしなかったのかとひっくり返すことができるかもしれません。
口火を切ったバルト3国の加盟は2004年。
プーチン体制は、2000年からはじまっていました。就任早々、彼の人気を決定的にしたのは、ロシア南西部のイスラム系住民の住む地域、(日本ではあまり知られていないけど)チェチェン独立への徹底した攻撃姿勢でした。エリツィン時代からくすぶった紛争の指揮をとった彼は、「あらゆる場所にテロリストたちを追いつめる」と大規模の空爆を開始、親ロシア派の暫定政権をつくり、これに独立派への容赦ない掃討と粛正を委ねる。ロシア軍と親ロシアのチェチェン軍により、街は破壊され尽くされました。特徴的だったのは、インフラの遮断など市民への犠牲をまるで省みない残虐さでした。
ソヴィエト時代のKGB組織を掌握した新大統領プーチンのこの戦争を、ソヴィエトからの独立をとげた小国は、はまちがいなく凝視したはずです。自分ごとだからです。
こたびのウクライナ侵攻のはじまり方を目にしたとき、チェチェンの悲惨と類似性を連想したのはわたしだけではないでしょう。やがてチェチェンは、ジョージア領だった南オセチア紛争となり、シリア参戦と姿を変えて、ついに2014年のクリミア侵攻、どうじにはじまるウクライナ東部の親ロシア派の蜂起へと続きました。この20年間に進んだ「NATOの拡大」という言い方は、欧州の軍事専門筋がチェス盤を読むような政治的分析であって、新規加盟を希望する小国がなにを恐れ、社会の方向性、安全へのどんな方法を模索したかというところは、まるで語られません。

大統領プーチンの戦争とはなにかを考えることなく
戦争はよくない、ウクライナだって改めるべきは改めよーー
という平和の一般論は、ウクライナは主権を放棄せよ、実質ロシアに併合されよというにひとしいのではないかと思えます。
国家間でなく人間関係にたとえるならば、もっとわかりやすいかもしれません。相手の人格も自立も認めない。なぜなら存在そのものが、自分の利益に反するから。なぶり殺すほどに痛めつけ、奴隷にするということです。
そのような隷属関係による安定を「平和」として迎えるかどうかは、ウクライナの人々が判断すべきことで、わたしたちの立ち入るところではないはずです。それだけは自覚しておきたいと思うのです。

 

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2022年3月13日 (日)

残された時間

ほんとうに春が来たようです。
もう、まちがいなかと思う。
昨日、久しぶりに自転車(GIOS)を走らせました。こぎだすと、気持ちがたちまち晴れる。
自転車というのは正直で、ペダルをこげば、こいだぶんは確実に進んでくれる。当然ながら、こいだ以上の距離を移動することは、かなわない。これも当然だけど、自分でペダルをこぐこと、移動することの間には金銭が介在しない。化石エネルギーもしかり。いつもひとり。すごくシンプル。
自転車のなにが好きかと問われれば、それに尽きます。

めざした西荻窪の自転車屋まで10キロほど。距離としてはほどよいところ。常時、BROMPTON(イギリス製のたいへん武骨な折り畳み式)を置いている店として自転車通好きには知られますが、たどり着いてみれば、じつに小さい間口でした。店の人とひとしきり話して、少し仕様のちがう2台に試乗させてもらいました。
とてもいい。実際に乗ってみたのは初めてです。

人生の残りの時間を、なにげなく気にするようになりました。
これまでは、労力や価格、対する得られるもの・ことだけを考えていればよかったけど、持てる時間ということが、必ず胸をよぎるようになった。
やってこなかったことをはじめる余力は、きっともうないけれど、すこしだけ生活を変えることならばできるかもしれない。いまあることの形を、ややひろげたり、転がりやすくまるめてみたり。しばらく考えてきたのは
自転車にもっと乗ること
いい音楽をもっと聴くこと
せいぜい、そのていどですが。先日、PCとBluetoothでつなぐスピーカーを1台購入しました。すこしいい物ですが、無理のない範囲ではあります。毎晩、バッハのフーガとボブ・マーリーを鳴らすようになりました。
BROMPTONは、もちろん輪行用。電車に積んで沿線の町でつかえたらとても便利だと、ずっと(かれこれ15年)思っていました。けれどもこちらは、無理のない範囲とはいかない。

運よく1冊目の本を刊行できたとき(35歳でした)、別の版元の担当者だった方に尋ねられたことを思いだしました。どんなテーマ、方向性で、どのぐらいの間隔で本を出版したいと考えるのか、と。その方は佐野眞一さんの担当だったこともあり、大きなテーマに挑みかかるような精力的な書き手になることを期待したのだと思う。
即答できずに
「とりあえず、生涯で10冊をつくれたらいいのですが」
とおこたえしたら、おおいに笑われました。
「ずいぶんひかえめだね。1年に1冊は出そうよ。すくなくとも2年に1冊はさ!」と。根拠はないけど、そんなに本を刊行する自分は、どうも想像できませんでした。
あらためて著作を数えたら、詩集もふくめて7冊でした。生涯で10冊は、わりと妥当な目じるしだったのだと思う。残された時間は、どれぐらいだろうかな。

 

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2022年2月28日 (月)

sing

ウクライナに、ロシア軍が多方面からの侵攻をはじめたのは、2月24日の夜明け前。
日付が変わるまえに、「ちよちよ」になにか書き残しておこうと思うものの、一字とて書けやしない。落ち着こうとしても、とても無理なのでした。
かろうじてできたのが一篇の詩(のようなもの)でした。
さいわいふところには、ロゴの「peace」がおりました。まるで、この日にためにつくったようなロゴだこととつぶやき、まずツイッターに貼りこみました。それから「ちよちよ」の詩に添えようとしたのですが、どうしてもダウンロードできずにエラーとなる。
やむなく、代理でカラスのサブロゴ「sing」を貼りつけて、ウクライナの空に飛んでもらいました。

そういえば、カラスの「sing」は、まだどこでも紹介したことがありません。singには、「なにかを詩にする」という意味があります。詩は「つくる」のでなく、「うたう」のですね。
もちろん日本語でも、「詩」を「うた」と読ませることがあるのは承知しています。
でも言語構造のちがいもあって、英語やフランス語の詩における韻律ほど、リズムにはこだわらなくともいい。散文との境界がほぼないといえます。そこは、日本語の詩のおもしろいところでもあるんだけどね。
数年前、フランス在住の日本人音楽家の方と、知人の家の夕食会で顔を合わせたことがありました。知人が『おぎにり』を持ってきてプレゼントしたことがきっかけで、しばし詩のはなしになりました。その方が、フランス語の詩について「たとえば言葉が言葉を追いかけるみたいなやつがある。やっぱり向こうの詩は、読んでこそ意味があるんですね。歌なんですよ」というようなことをおっしゃたのが、とても印象に残りました。
で、スズメのpeaceと一緒に、カラスのデザインを目にしたとき、浮かんだのが「sing」でした。詩に関係するイベントや販促の機会には、singに働いてもらおうと考えたのでした。
本日、ようやくエラーの理由がわかったので、前ブログのsingとpeaceを貼り替えました。singには、代役の労をねぎらいました。

ウクライナの現実をまえに、なにもできません。そのことが無力感をつのらせます。うわずってしまい、この数日、どうしても言葉が地につきません。
祈ることしかできない。
どうかウクライナの人々をすくってください。こんなことがなんの役にもたたないと知りながら、それでもなんども言います。

 

Wit-mail_logomark

 

 

 

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2022年2月24日 (木)

静かな夜のために

凍えるほどに哀しい夜です
砲弾が撃ちこまれている無残な街の姿を
想わずにおけません
うちひしがれた絶望のうめきに
耳をすまさずにおけません
人の尊厳の残骸と酷薄な火柱に
目を見開かずにはおけません
圧倒的な暴力は
遠くて近いところにあるのです
いつだってそう
凍えるほど哀しい夜は
遠くにあって
そして
ここにあるのです
あなたの手をさがします
ともに祈ります
静かな夜のために

 

            ウクライナの空へ

 

Peace1

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2022年2月12日 (土)

たがいの生存を認める

『このごろのこと』を読んでくれた方から、安倍・菅政権への批判について、このように問われました。
「なんども社会の「分断」について言及していますよね。では、自分はどうやったら、日本がひとつになれると思うのですか。批判するならば、それを書く必要がありませんか」と。
言われてみれば、そのように問いたくなるのもうなずけます。たいへんいい指摘をいただきました。おこたえしますね。

わたしは、国民がひとつになれるなどとは思ったことがありません。そもそも、1億を超える人間が、国家の下にひとつになどなれるはずもない。その必要もないと思っております。
この話しをするには、国家単位よりも、もっともっとちいさなコミュニティーのほうが想像しやすいでしょうか。
人は、共同体をつくってきました。ひとりでは、生きていかれない。出身地や家族のかたち、身体能力がちがうさまざまな人が、共同体に集まり、共同体を動かし、そして共同体によって生かされてきました。異なった人々が異なった利害を持って参加する共同体に、なくてはならない機能があります。
弱者も、生きてゆけることです。共同体のモラルといってもいい。市場を持たず、成員すべてに目がとどく原始社会では、容易に分配や生活の支援が機能しました。

弱者を護るのは、弱者のためではありません。弱者以外の人々が、損を強いられるわけでもない。みんなのためです。だれでも老います。だれでも致命傷を負うことがあります。だれでも、家族のなかで生活の負荷を支えきれないことがあります。「だれでも」のなかに、自分もふくまれます。
明記されずとも、知らずと他者の生存を認めるというコモンセンス(sommon sense)ができてゆきました。それは、自分の寄って立つ共同体を護ることなのです。

わたしが、昨今の為政者による分断を容認できない理由は単純で、それがいずれ一方の生存を脅かす憎悪にいき着くからなのです。「こんな人たち」と一国の総理が、反対勢力を指すのは、相手の存在を否定しているのとおなじです。
こういうふうにもいえます。社会のなかで反目しても、敵対関係にあっても、たがいの文化や価値観を理解できなくても、それ自体はさして問題ではありません。問われるのは、相手の生命が権力や暴力によって危機的状況にさらされたとき、無条件に手をさしのべることが、できるかどうか。見過ごしてはいけない。連帯して声をあげるのです。それさえ社会の底辺で共有できていれば、対立の圧力はどうにかこうにか緩衝していけます。イデオロギーよりも、智慧と対話が尊重されるわけです。そういう社会であったならば、関東大震災のとき、おびただしい数の朝鮮人がなぶり殺されるなどという惨劇は、起きなかったはずです。
ひとつになろうとすれば、自動的に排除のスイッチが起動することになります。これはかえって危険なことです。

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2022年1月30日 (日)

「やまなし」の風景

ぶちと川辺を歩いていて、カワセミが一直線に水に飛び込む場面をなんどか見かけました。案外、狩りというのは難しい。バウンドするように枝に引き返してくるカワセミは、いつも収穫なしです。数日前のこと。運よく、初めて魚を捕らえた場面に出くわしました。カワセミが、獲物を飲み込む姿を確認できたのです。

「クラムボンはわらったよ」
ではじまるのは、宮沢賢治の童話「やまなし」。
「わらったよ」の歌うようなリズムは、すぐにこう変わる。
「クラムボンは死んだよ。」
「クラムボンは殺されたよ。」
「クラムボンは死んでしまったよ………。」
声の主ははっきりわからない。カニの子どもらの頭上を行ったり来たりしている「一匹の魚」でしょうか。
「その時です。俄に天井に白い泡がたって、青びかりのまるでぎらぎらする鉄砲弾のようなものが、いきなり飛込んで来ました」
一瞬のことで、「それっきりもう青いものも魚のかたちも見えず光の黄金はゆらゆらゆれ、泡はつぶつぶ流れました」
おびえる兄弟に、父親は教えます。
「ふうん。しかし、そいつは鳥だよ。かわせみと云うんだ(後略)」

わたしとおなじくカワセミの狩りに遭遇したとしても、賢治には、きっと岸からは見えない風景が見えていました。
水底でなにが起きていたか。水底の描写の、なんと青く透明であることか。
彼が奇想のあるじであったと言いたいわけではありません。水が岩にぶつかり背をつくって泡をたて、よどみができ、魚影がたまるーー。カワセミがやってくるのがどの枝であるか。浅瀬の石のすき間には、サワガニがいる。そんなことをよく知っていると、眼前のできごとが勝手に語りだすかもしれません。
彼が観察の人であったのは、おう盛な自然科学に対する興味から容易に推察されます。川や森や月や太陽を見つめ、その理を考えずにおけなかった。観察は、おのずとひとを不可視の世界に連れてゆきます。
念仏をやめよ、法華教典の唱題である南無妙法蓮華経でないと意味がない、というのが日蓮の主張。仏の名を呼ぶだけの行為に、どれほどの真理があろうかと、言いたかったのだと思う。賢治のような自然への態度と、法華思想は相性がいいであろう。真理は、自分が生かされている現実世界(自然のありよう)そのもの、なのだから。国柱会に賢治や藤牧義夫を強く引きつけたのは、手がとどきそうな真理との距離感だったかもしれない。カワセミと川底ぐらいの。

ともあれ、橋の水道管や枝に止まっているカワセミを見かけたときは、ついわたしの足はとまってしまう。飛び込むかどうか、しばらく見まもる。
ちゃっぽんと行ったとき、泡のように胸のうちから上がってくるのが
「クラムボンはわらったよ」
なのでした。あれは一種の南無妙法蓮華経かもしれないなぁ。魚を飲むカワセミを見たとき、そう思ったのでした。

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